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豊島・産業廃棄物不法投棄事件の現場を訪ねて


資料館周辺のオリーブは2004年当時、小泉純一郎首相や小池百合子環境大臣らが植樹したもの

産業廃棄物は物語る

 廃棄物層をそのまま剥ぎ取った縦3メートル、横3・5メートルの「断面壁」。それは「豊島のこころの資料館」に設置されたひときわ目を引く展示物だ。下の写真はその一部分を撮影したものである。展示物の横に置かれた解説用パネルには、断面壁をつくった目的とその内容物等についてこう記されていた。

ありとあらゆる廃棄物が層をなす断面壁

歴史の証人:
豊島産業廃棄物不法投棄事件 たたかいの証し
 

 平成12(2000)年6月6日公害調停成立の直後、私たち豊島住民は、豊島事件の教訓を語り継ぐために、水が浦に不法投棄された廃棄物を後世にのこすことにしました。
 「現在の貝塚」とも言われた廃棄物層の剥ぎ取り断面壁は、私たち豊島住民が亡くなったあとも「ここでなにがあったのか」を問いかけ続けます。           

 この廃棄物は、経済優先社会、無謬を貫く行政、強欲な業者によって、都市圏から海を越えて、自然とともに暮らしてきた私たちの島に外から持ち込まれたもので、私たちのごみは一切ありません。
 この廃棄層は「先人たちより受け継いだ美しい豊島を自らの手で取り戻し子孫に継承する」「第二第三の豊島をつくらせない」という過去25年間のたたかいにおける私たち豊島住民の願いの証しです。
 そして完全撤去まで早くとも16年かかる道程を監視し、現在もつづく廃棄物とのたたかいの歴史と教訓をつたえていく誓いの証しでもあります。

 「共創の理念」および公害調停前文「豊島が瀬戸内海国立公園という美しい自然のなかでこれに相応しい姿を現すことを切望する」という願いのもと、この島を訪れる人々と私たち豊島住民がともに学びあうなか、水が浦の原状回復と「誇りをもって住み続けられるふるさと」豊島の「再生と自立」への長い、長い道のりを考え、希望にむけた感動を共有したい、そう決意しています。

 不法投棄された産業廃棄物について(重量 約93万8千トン 体積 約62 万2千㎥)
 海抜2mの地表から最大約18メートルの高さで約6万9千㎡の広さ(東京ドーム5個分以上)に不法投棄されています。
 廃棄物の種類はシュレッダーダスト(自動車破砕くず)、製紙汚泥、ラガーロープ、ドラム缶、廃油、燃え殻、鉱さい、ウレタンシート、岩石など多岐にわたり、鉛、総クロム、カドミウム等の重金属、そしてPCB、ダイオキシン類等の有機塩素系化合物、四塩化炭素、1,2-ジクロロエタン等の揮発性有機化合物VOCsなど、多種類の有害物質が含まれます。そして廃棄物の下にある土壌や地下水にまで汚染が及んでいます。
               助成:平成13年度環境事業団地球環境基金
                          寄付:中坊公平氏      
                            (原文ママ)

連日、産廃の野焼きが行われていた事件当時の写真(豊島こころの資料館蔵)

豊かな消費社会の陰で

 事件は、1975年12月、豊島総合観光開発(株)(以下、豊島開発)が香川県知事に有害産業廃棄物処理場建設の許可申請に端を発する。このとき豊島住民は反対署名をもって香川県に陳情していた。豊島開発は有害処理から無害処理(ミミズ養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理)に申請変更し許可を得た。豊島開発は83年ごろから許可外のシュレッダーダスト、廃油などを大量に不法投棄し始め、連日、野焼きが行われ黒煙がのぼった。不法投棄は90年11月の兵庫県警の強制捜査まで続いた。93年11月、住民約500人が公害調停を申立て、弁護団長に中坊公平弁護士が就任した。

 2000年5月の36回公害調停を経て、6月6日に調停成立した。その間、国(公調委)による実態調査が開始、専門委員による処分地廃棄物等調査が行われた。豊島住民は県に対し抗議活動を行い、同時にこの状況を県民に訴えるための運動を展開した。調停成立後、2003年4月から産廃等の撤去が始まる。17年3月に搬出完了、発覚から42年、最終の廃棄物搬出船見送り。しかしその後、新たな残存廃棄物がつぎつぎに見つかっている。

雨水などを管理するためのトレンチで有害物質の流失を防いでいる

 廃棄物対策豊島住民会議事務局長の安岐正三さんは言う。「事件がテレビなど報道番組に取り上げられ、最初にここに駆けつけたのは自動車と家電の大手メーカーでした。自社マークの入った廃棄物がないかどうか心配だったのでしょう。また、消費者団体の人たちも来ました。廃棄物の山を見た途端、『これはどうにもならない』と諦め顔で帰られました。98年当時、豊島住民は2000人でした。香川県民100万人を前に『2000人の正義はないのか』との思いが、我々の運動の輪を広げました。弁護団も99.9%、だめな事件をひっくり返して最後まで闘ってくれました」。

産廃を扱う闇ルートの存在

 そう言って、安岐さんは展示室を回りながら続けた。「廃棄物の中からポイズン(毒)と記されたドクロマークのついたドラム缶が見つかったんです。排出先を追ったところ、イタリアの世界的な化学メーカーだったんです。巡り巡って日本の大手メーカーの子会社が豊島開発に持ち込んだんです。水が高いところから低いところへ流れるように、産廃は値段(処理費)の安いところへ流れていく。国際的な闇ルートがあるようです。このようなことをなくさなければ、つくる責任は果たせないのではないかと思います」。

 「豊島では廃棄物も遮水壁も撤去されました。少し重荷がとれましたか?」という問いに、安岐さんは答えた。「ひと息つく気分にはまだなれません。ここには有害物質の値が高いホットスポットと呼ばれる箇所がいくつかあります。そこが完全に除去され、事件前の自然海岸を取り戻すまでは休めません。つぎの世代につけをまわさない……それが第一です」。
                       
            『消費者情報』Web版502号(2022年11月配信)
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