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「子持ち様」論争について思う

アラフォーバツイチのさくらです。

子持ち様論争がヒートアップしてますよね。

確かに職場で「子供の学校行事だから、優先的に有給取れて当たり前」みたいな態度取られるとイラっとするし、

フードコートで鬼ごっこや、公衆浴場のジャグジーで平泳ぎしてる子供を注意もせず放置してる親にイラっとするし、

気持ちは分かりますが、

少々、子持ちへの風当たりキツくね?

と感じます。

不妊や婚活で悩む妙齢女性って、めちゃくちゃ腫れ物に触るように繊細に扱わないといけないし、絶対に責めてはいけないし、

地雷をカスりでもしたら、トンデモないアンチとして徒党を組んで炎上させにくるんで怖いですね。

私は2人の息子を成人まで育てたけど、子育て期間は遠い昔で、それほど子持ち様に感情移入はないので、わりとフラットな立場かな?と思います。

子なしや生涯独身勢は子持ち様に配慮させられるばかりで損してるってのは違くない?

と思う。

だって、

自分だってかつては子供だったんですよ?

子育てしたことはなくても、子育てされたことは全員ある。

自分だって生後数ヶ月の頃に、新幹線で大泣きして周囲に迷惑かけたりもしただろうし、自分が乗ったベビーカーが通行の妨げになったこともあるはずだ。覚えてないだけで。

自分が幼稚園の時に熱だして、親が仕事休んで来てくれたこともあったでしょう。

それに、

いつかは年老いて、スーパーのセルフレジでまごついて後続を待たせたり、自動改札で引っかかったり、バスの乗り降りが遅くて周囲をイラつかせるんです。

お互い様です。

それに、

私たちが将来、受けとる年金は、どこかのだれかが育てた若者が納付してる社会保険料で賄われるし、

私たちが将来、年老いて病院通いすれば、その医療費は、どこかのだれかが育てた若者が納付してる税金が使われてるし、

世話してくれる看護師さんも介護士さんも、どこかのだれかが育てた若者です。

どこかのだれかが育てた若者がいなかったら、移民の外国人か介護ロボットに世話されるしかない。移民の外国人の若者もだれかが育てたわけだけど。

子育てって金も手間も時間も鬼のようにかかる。それを担ってくれてて、子供を育ててくれた。成長した若者によって日本も世間も成り立つなら、

ありがたくない?普通に。


俯瞰で見ずに、目先の細々とした事象だけを取り上げて、「子持ち様ムカつく」って言うのは、少々、視野狭窄が過ぎるのではなかろうか?

その子持ち様の子が将来、介護士になって、あなたのオムツを変えてくれるかもしれない。

あとさ「子供を産んで、本当に完全に不安なく幸せにできるんですか?」みたいな論争もやめん?

完璧主義で、親として完璧になる覚悟と用意がないのに、子供を作るの無責任じゃないの?的なやつ。

完璧主義って、「完璧にする。」んじゃなく、「完璧にならなさそうだから行動するのやめとこ。」って結局やんないんで、良いことないよね。

ミドリムシだって気にせず細胞分裂してる。

生物が繁殖して何が悪い?

死ぬときに「誰かに命を繋いだ、託した。」と思えないとしんどそうである。自分が生き、死ぬことに意味があったと思えないと。人生に意味があったと思えるのに、一番分かりやすいのは、子供を持つことだろう。

昔の戦(いくさ)では大義名分が重要視された。「俺たちが帝を守る。」的な。それがないと兵士は命を張れない、士気が上がらない。

人間とはそういうもんだろう。


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