ナイショの論文執筆計画

私、『no+e』様の「2024 年 新年の抱負を書こう!」に挑戦していたのですが、もう締め切りが近くなってきてしまいました。
そのため取り急ぎといった感じになってしまうのですが、私にとっては官能小説を書くよりも恥ずかしい、……というより恐ろしいというか敷居が高い、論文執筆の計画について、ナイショの計画を書いておこうかと思います。

といっても私はフランス現代思想への反発とルサンチマンのなかで文系の諸思想に触れてきただけですから、論文を書くために必要な専門知識、それに語学力などはないのです。
それでも私の若い頃にはそのフランス現代思想しかなかったので(例えば『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』が好きだったので高校、あるいは大学のSF研に入っただけだったのに、押井守監督の『ビューティフル・ドリーマー』辺りにかぶれたフランス現代思想的不可知論者になぜかファシスト呼ばわりされていたり、……とか、高校の国語の授業中暇だったので教科書をパラパラしていたら中原中也の詩が眼に飛び込んできて、それがちょっと気に入ったのでその学校の、あるいは大学に入ってから文芸部に入っただけなのに、『現代詩手帖』誌辺りを読んでいてハイデッガー、ウィトゲンシュタイン、アーレント、ベンヤミン辺りにかぶれたフランス現代思想的〝僕は何々主義っていうのは民主主義まで含め全部危険思想だって思ってんだけど、敢えて何かをチョイスとすれば自由主義者かな〟的何かにこれまたファシスト呼ばわりされていたり、……とか)、その憎むべきフランス現代思想と再び出会い直すことを願って、ある小説のつもり風文書を制作しだしたのです。
それは大学に聴講生として通いだしたオッサンと当該大学の新進気鋭の助教授辺りとの恋愛小説だったのですが……。

ところがその助教授の最初の講義の執筆中ついついその助教授に「プラグマティックに~」という言葉を喋らせてしまいまして、そういえば私、元々フランス現代思想の連中にファシスト呼ばわりされたいきがかり上やりたくもないのにやりだした哲学だったけど、プラグマティズムについてはさらになんにも解ってないぞ、と気づき、その小説のつもり風文書も僅か原稿用紙五枚ほどで制作ストップ、プラグマティズムに関してなんからか理解を得なければと思って数年、そうは思ってもずっと手を着けられずに過ごしてきました。

要するにそのプラグマティズムについて何か書くぞといいたいわけですが、プラグマティズムに関してやはりここでもか! といった感じで、腐乱す現代思想絡みの嫌な思い出がありまして……。
というのがフランス現代思想隆盛当時はチャールズ・サンダース・パースなんかも流行っていまして、これもまたその連中が勝手に自家薬籠中状態でああだこうだといっていまして……。

それでもバートランド・ラッセルがプラグマティズムについてもヘーゲル弁証法に引っかけ、両者一緒くたにして強い調子で批判しているのが、私にとっての手掛かりになるかな?
あと経済思想史の先生が講義の雑談的部分で仰っていた、カルヴィニズム経由でのプラグマティズムへのヘーゲルの影響ですとか……。

フランス現代思想の連中って本当にヘーゲルを眼の敵にしていましたので、奴らで溢れかえっていた当時の大学のキャンパスでヘーゲルのヘの字でもだそうものなら……。
でもネオ・プラグマティズムのブランダムなんてひともげーげる再評価してるようですしね……。

今回は乱文で本当に済みません(前回、前々回の投稿もかな?)。
失礼しました。

#ナイショの抱負

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