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【お題:悪魔】出動!G撲滅兵団(3)

 瞬間移動先はパーティ会場のような場所だった。夜な夜な社会人が集まって、人前での話し方とか大人のマナー講座とかいかがわしい勉強会が行われ、そのあとに交流会という名の不毛な催しがされるような場所だ。
 この会場にかの巨大な悪魔が出現したというのだ。

 愛子は物陰から建物の様子を窺った。五階立ての古いビルで、きっとエレベーターは狭いに違いない。火災が起きればあっという間に煙が充満するような、都会によくある汚いビルだ。
 建物の灯りはつけっぱなし。時々、大きな影が窓を横切る。
「あの日、確実に仕留めておくべきだったんだわ」
 愛子は唇を噛んだ。人間が集まる場所には、悪魔も集まる。そこは明らかに、巨大Gの集会場所となっていた。
「まぁまぁ先輩、覆水盆に返らず。過去のことは気にしない」
 愛子にしか任せられないと言ったくせに、本部長は八雲も同行させた。
「八雲、この仕事ではちゃんと私の言うことを聞いてちょうだい。あ、こら」
 八雲は低い姿勢で、建物の入口へ向かった。地べたを這うような匍匐前進。これではどちらが虫なのかわからない。


 二人はビルのエントランスへ忍び込んだ。
 誰もいない。
 こちらからはあちらの姿は見えないが、あちらは常にこちらの動向を窺っている。いつだってそうだ。床下の悪魔は足元から我々の平和を脅かすのだ……
 愛子は額に青筋をこさえてスリッパと包丁を構えた。
 部屋中に視線を投げ、耳をそば立てる。
 沈黙が続いた。

「そこだ!」
 愛子は左の壁にスリッパを投げつけた。やはり通常のサイズとは異なる、大型Gが姿を現した。Gはスリッパの打撃を受け床に落ちたがすぐに立ち直り、蛇行しながら扉の方へ向かった。独特な歩行の気持ち悪さに、愛子は舌打ちした。

「しぶとい。追いますわよ」
 二人は悪魔を追って廊下を進んだ。悪魔は時々物陰に姿を隠し、二人が近づくのを待ってから、また音もなく廊下を這う。

「先輩の〝スキル〟は、本当に『圧倒的な殺意』なんすかね……先輩にまみえたときのGは、俺のときと様子が違う気がするっす」
 八雲が妙なことを口走ったが、愛子は聞く耳を持たなかった。
 突き当りの扉の隙間に滑り込んだ悪魔に続いて、愛子は勢いよく扉を開けた。
 黒い壁、黒い床……そこにいたのは無数に蠢く悪魔たちの姿だった。
「多勢に無勢……嵌められたっすね」
「……ふん。G撲滅兵団心得二。一匹いれば百匹いると思え……」
 愛子は構えた。悪魔の数はむしろ、愛子の怒りのボルテージを増幅させた。
「八雲、私の後ろへ。部屋の中央に行くわよ」
「合点承知!」
 八雲は頭のバンダナを取って口を覆った。

 愛子がスリッパで床をパァンと叩くと、黒い影は水の波紋のように距離を取った。少し離れては止まり、すぐに秩序を乱し、また叩くと離れていって、なかにはあろうことか愛子の方へ近づく者もあった。

 無秩序に襲いかかる黒い虫は一見蝙蝠のようにも思えた。愛子は包丁を振り回し向かってくる悪魔を切り裂いていった。
「八雲、今ですわ!」
 八雲は据え置き型の燻煙殺虫剤を部屋の中央に設置した。
「メトキサジアゾン!」
 白い煙が噴き出して、特大Gは苦しそうに逃げ惑った。もともと奇妙だったGの歩行はますますおぼつかなくなって、酔っ払いのように右往左往した。
「これで一網打尽っすよ」
 八雲が誇らしげに部屋を見渡したとき、足元が大きく揺れた。
「地震⁉」
 天井から塗料のようなものがパラパラ落ちてきた。
「大きいっすね。この建物、今にもくずれそうっすよ」
 そのとき愛子は、こそこそと部屋から出ようとする一匹の悪魔を目の端で捉えた。
「あれは……」
 愛子たちをここへ誘導した触覚の折れ曲がったGが、奥の部屋に逃げ込むのを愛子は見逃さなかった。
 そうしている間にも余震は続く。
「八雲、お逃げなさい」
 愛子は八雲の腕を掴んだ。
「先輩⁉」
 瞬間移動装置を起動して、八雲の腕をぐるりと回す。
「なんで……」
 八雲の身体を形作る分子が砂のように溶け、やがて消えた。

 愛子は触覚の曲がったGを追って奥の部屋へ進んだ。
 彼は薄暗い部屋の中で、愛子を待っていた。奇しくもそれは、愛子が初めて悪魔に対面したときの構図と同じだった。
「あなたが親玉ね」
 愛子は触覚の曲がった悪魔にスリッパを突きつけた。
 悪魔は意味ありげに、触覚を揺らした。

 そのとき愛子は、その触覚の動きに規則性のようなものを感じた。それはなにかの、合図のようにも思えた。
 思えばこれまでにも、不思議に思うことは多々あった。なぜ、彼らは自分に対峙したとき、逃げ出そうとしないのだろうか。この溢れ出す殺気に一目散に逃げてもいいようなものなのに。なぜ一度、呼応するように対峙するのだろうか。

 愛子の頭にある疑念が浮かんだ。彼らが自分に向けているものは、殺意ではないのかもしれない。彼らは自分に、何かを伝えようとしているのかもしれない。
 愛子は悪魔の姿をじっと見た。自分は未だかつて、彼らの意向を理解しようとしたことがあっただろうか。

 目の場所は……わからない。触覚の動きも……意味するところはわからない。しかし悪魔は悪魔として、そこにいる。生きた個体として愛子に向かい合っているのだ。
 愛子は疑念を打ち消すように頭を振った。
 とはいえ生きるためには仕事がいる。そして愛子にとって殺虫は仕事以上の意味があった。G対策本部に所属し、そこで賞賛を得ることは誇りであった。本部長の期待に応えることが、生きがいだった。いわば殺虫は自分自身だった。
「だめよ……これを失ったら私は私でなくなるの……」
 Gはまだ触覚を動かしていた。
 愛子は頭を抑えた。今まで彼らの方から、人間に攻撃を仕掛けてきたことがあっただろうか。もしかするとこれは戦争ではなく、殺戮ではないのか……自分と等しいはずの命を、気持ちが悪いからという理由で、弄んでよいのか……
「悪魔は、私か……」
 愛子はスリッパと包丁を床に投げた。

 悪魔は愛子との、人間との和解を望んでいる。愛子が人間とGを繋ぐ架け橋だと見抜いて、辛抱強く訴えかけていたのだ。
 Gが愛子に歩み寄った。愛子は意を決し、両手を広げた。そう、彼と手をとり抱き合って、世界の平和を……
 Gは愛子に向かって飛び掛かってきた。
 そして愛子の肩をすり抜け、その背後へ飛んでいった。
 愛子が振り返ると、Gは愛子の背後に倒れてきていた書類棚にぶつかって、その軌道を変えた。身を挺して、愛子を庇ったのだ。
「そんな……なんで……」
 愛子は、床に転がって小刻みに痙攣するGに駆け寄った。
 余震が起き、天井が一部剥がれ落ちた。建物は今にも崩れそうだ。
 崩れ行く建物のなかで、愛子は自分には平和を語る資格はないのかもしれないと思った。これまで殺生を繰り返してきた罰かもしれない。

 愛子の憂いをよそに、ひっくり返ったGは自力で身を翻し起きあがった。まだこの世に未練があるというように、執念深く歩き出す。
 Gのいく先には、小さな数匹のGがいた。彼の優し気な触覚の動きから、それが彼の子供であることが見て取れた。
 その光景を見て、愛子は立ち上がった。
「こっちよ」
 部屋の扉を蹴り飛ばし、避難を促す。崩れ落ちる瓦礫をスリッパで叩きながらGの家族を守って廊下を進む。

 崩壊寸前の建物から飛び出したとき、八雲が駆け寄ってきた。
「先輩!」
 愛子はその腕になだれ込んで、安堵のため息をついた。
 愛子の後ろを子分のように着いてきていた三匹のGを見て、八雲は構えた。
「なんだお前らっ。先輩になにしやがった!」
「八雲、違うのよ」
 愛子はG一家に向き直った。
「G撲滅兵団心得三……全生物が滅びゆくとき、唯一生き残るのはGであることを忘れるな」
 愛子は腰に手を当てて、G一家を見た。
「本当に、世界一しぶといんですわね。A級撲滅兵を前にして、家族揃って生き延びるなんて」
 愛子は再度、スリッパをGに突きつけた。
「今後、人家に立ち寄らないと約束するのなら、もう二度とむやみに殺したりしないと誓いますわ」
 Gは折れ曲がっていない方の触覚をピンと立てた。
「調子がよろしいのね」
「先輩、やっぱり……Gと心を通わせて……」
「G人平和条約、締結よ」


 かくしてGと人は戦争をやめた。互いの住処を侵すことなく、二度と互いに顔を合わせることなく、平和な時代を過ごした。
 愛子は職を失って、貯蓄を切り崩して生きていた。先行きの見えない未来に不安を抱えながらも、なにか、今までとは違う心持ちで日々を過ごしていた。
 八雲と二人、以前であればGが出そうな汚いコンビニの前にたむろして、流れる雲を見上げた。
「先輩のせいっすからね。金回りのいい仕事だったのに。こんな〝スキル〟、活かせる求人ないっすよ」
 八雲はむくれて、宙に向けスプレーを噴射した。
「塗装屋にでもなったらいいわ。困るのは私よ。男の頬を思いっきりひっぱたくくらいしか、他に使いようがないもの」
 スリッパを片手に空で鋭い素振りをする愛子を見て、八雲は縮みあがった。
「本部長は今頃何してますかね」
 八雲は向かいのビルをぼんやり見た。カジュアルな恰好をした会社員がいきいきと笑って出てくる。

 Gがいなくなった今、G対策本部は解体され、本部長は姿を眩ませた。対策本部があったビルは別のベンチャー企業が利用している。
「あの人のことだから、新しい事業を始めているんじゃないかしら」
「俺たちは言うなれば、利用されていたってことっすかね。本部長の描く平和な未来のために」
「結果的に平和になったのだから、喜ぶべきなのよ」
「よかったんすか。先輩、本部長のこと……」
「いいのよ。あの人は私にきっかけをくれたの。私はずっとこの先も向き合って生きていくわ」
 自分のなかの悪魔と……

 愛子が物憂げな顔をすると、八雲は指を忙しなく動かした。
「あの、俺たちは一蓮托生……これからは俺がいつでもそばに……」
 その時二人がいる路肩の向いのビルから、瓦礫の崩れる音がした。
 傍にいた人々が悲鳴をあげて逃げてゆく。
「なんだなんだ。おい、おっさん、なにがあったんだ」
 くたびれたシャツを着た男に、八雲が尋ねた。
「あそこに高いビルがあっただろ。地下部分が白アリに食われて根本から崩壊したそうだ。最近の地震で明らかになったらしい。近頃の白アリは、鉄骨も食えるくらいに進化しているって話だからな」
 初老の男は世も末だ、と嘆いて去った。
 愛子と八雲は顔を見合わせ、左腕を上げた。
「出動よ!」

おわり


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