お祭りと選挙の微妙な関係

ニュースを見ててお祭りと選挙には、ちょっとした同質性を感じました。
1.まずは同じ点から、
①参加者がいないと意味が無い
 お祭りも選挙も一定数以上の参加者がいることで成立する。
 誰も参加する人がいないなら、存在意義はないですね。
②多すぎる参加者は混乱する
 一定数以上参加者が必要ですが、多すぎると混乱する。
 喧嘩や様々な混乱によって事故や物騒な事件につながる可能性もある。
③継続しようとする熱意が必要
 お祭りも選挙も続けていこうという熱意ある人がいないと続かない。
 伝統とかしきたりやあり方を引き継いでいく必要がある。でないと、無秩序になってしまう。
④ある程度のお金がかかる
 お祭りの場合、各地の自治体や自治組織、参加者等がお金を出して運営していることが多いと思います。
 選挙の場合、全て国民が納税したお金から出して運営してます。
2.違う点もある。
①参加するしないは自分で決められるけど...
 お祭りも選挙も参加するしないは各自決めることができます。
 お祭りは参加しなくても、特別な不都合はない。
 しかし、選挙の場合、運営経費は全て税金で賄われている。参加しないことは、その経費を捨てているのと同じ。
②参加しないことによる影響
 お祭りは参加しなくても、継続する熱意ある人がいれば続いていく。逆に継続する熱意がないなら、いずれなくなるのは必然です。仮になくなっても、そこの住民に何かしら生活上の張りや生き甲斐みたいなものがなくなる可能性が高い。
 選挙の場合、お祭りと同じく熱意ある人がいれば続いていく。というか、日本国においては選挙は法律で位置付けられているから、何かしら法律改正されない限り続いていくでしょう。多くの日本人にとって、選挙は当たり前にあるものとして認識されている方も多いように思われる。
 しかし、地球上には選挙が当たり前でない国・地域の方が多い。選挙があっても、様々な制約がある。特権がある人しか投票できない、自由に立候補できない、候補者・応援する人同士がケンカする、後で選挙結果がひっくり返される、嘘か真実か分からない情報が出回る、勝ち負けを裁判で争う、選挙に関わったが故に事件に巻き込まれる。殺人事件どころか戦争になることもある。
 お祭りも選挙も参加してないと時を経るごとに、変化してたり場合によってはなくなっている可能性があります。
 「昔はね選挙という面倒な仕組みを使ってリーダーを選んでたよ」というおとぎ話をする日が来るかもね。
 そのうち、AIがリーダーを即決で選んでくれるかも?
 とういかAIが決めたことに粛々と従う将来がくるかも?
 短時間・低コスト・高パフォーマンスなら可能性は、ゼロではない?

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