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メンヘラと二次元

 pixivで良質な一次創作マンガを読んだ。無料でクオリティの高い作品を読めるのはすごいよな。インターネットにはじめて触れた18のころからずっと思ってる。
 ウチは貧乏だったから、ネット環境のないまま高校生までを終えて、働き出した18のころにようやっとガラケーを手に入れた。もともとオタクだったものだから、あっというまにpixivにどハマりした。
 小学生のころまではちゃお、中学生からはジャンプ、高校生になるとBLも読むようになっていた。しかしどれもいわゆる商業作品というもので、同人の世界に触れたことがなかったのである。
 インターネットの、なんとすばらしきことか。10年以上前の話だし、ガラケーの小さくて見づらい画面でpixivを見ていたことなど、今となっては信じられない。だけど上手な絵やマンガが自分の好きなときに好きなだけ、指先でボタンを押すだけで見られるというのは、当時の私には革新的だった。
 そこからは、二次創作にもうずっぽり。これは仕方なかったと思う。なんせ楽しかったからな。もともとアニメやマンガは大好きだったし、学生のころにネットに触れられなかった反動と、働くことからの逃避もあいまって、そりゃあもうのめり込んだ。実家暮らしなのもあって、給料は同人誌とグッズに消えた。

 18から25の若いときをムダにした!!!と思って後悔したりもしたけど、当時の私は好きでやってたし、何より二次元からパワーをもらって生きていたのに、過去を否定する必要なんかなかったよなって。
 ウソでなく本当に、私は27でうつ病になるまでずっと、二次元を心の支えにして生きていた。世界には、私と家族と職場と二次元しかなかった。そういう生き方しかできなかった。

 うつ病になって、自分の全部が砕け散って本気で死にたかった。母を泣かせて申し訳ない、働けない自分が情けない、二次元を見ても死にたい。
 私が私自身に価値がないと思っているのだから、そこを改めなければどうしようもなかった。

 小さいころから臆病で、他人と関わるのが苦手だったし、自己主張もヘタクソだった。
 めんどうなことや難しいことからは逃げ続けてきた。傷つくのがこわかった。
 だけど人生、そうやってイヤなことから逃げ続けていても、いつか必ず直面しなければならなくなるときがくるもので、それがまさに31の今年だった。

 母娘関係も、恋愛も仕事も、他人との関わり方も、本当であれば10代20代で通過しておくようなことを、30過ぎて全力でやった私は滑稽であろう。
 自分でもアホで、恥ずかしくて、どうしようもないことで悩んで、実際に心はままならなくて、うつ病再発すんじゃねーのかってぐらいにもがいて、あがいて、泣いて怒って、これほどまでに一生懸命だったことは、過去に一度もなかった。
 苦しいんだけど、それでも楽しいんだ。すくなくともそう思えることがしあわせだ。

 12月から来年にかけて運気がいいってゲッターズ先生が言ってたので、悩んだ分が報われるって信じて生きようと思うよ。

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