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ひどいこと言っていい?

 深夜だからいいよね。

 私が社不なのは一生変わらないから、私は私の生きづらさと一生向き合って行かなきゃいけない。気が遠くなる。おそらく精神の健常な方であれば一生悩まないであろうこと、失敗しないこと、傷つかないこと、そのいちいちに私は引っかかってダメージを受けるんだろう。

 うつ病が一番ひどかったとき、生まれてきたことを後悔した。全部産んだ親のせいにしてラクになろうとした。でも違う、社不に生まれついたところで、親の育て方に問題があれ、自分自身のどうしようもなさから逃げ続けてきたのは私だ。それに気づいたとき情けなくて涙が出た。当時30手前。死ねるものなら死にたかった。

 メンヘラ気質で社不ではあるものの、発達に問題なく育ち、考えられるだけの脳ミソはあったはずなのに、もっと若いうちに、どうして自分の生きる道を真剣に模索しなかったのだろう。
 だれでも出来る仕事をやって、自分ひとりがなんとか暮らして行ける程度の給料をもらって慎ましく生きざるを得ない。自業自得なのに暴れたくなる。

 病後、他者と関わることで、自分自身の醜さやらなんやら、見たくもないものをたくさん見るハメになった。
 他人が許せなくて許せなくてハラが立って仕方がなくて、だけど己の思う正しさで他人を裁く権利なんかないのに、怒りをあらわにすることでしか自分を守れなかった時期が何ヶ月か続いた。
 そういうふうに狭量な自分がイヤでイヤでたまらなくて、ほとんど呼吸困難になるくらい泣き明かした夜が何度もあった。

 30超えて自我の形成なんかしちゃってる自分はだいぶイタかったけれど、どれも必要な過程だったのだろう。今は数ヶ月前の自分を冷静に振り返ることができる。

 一生社不は社不だし、メンヘラはメンヘラだし、コミュ障はコミュ障だし、現実ってどれだけ残酷なんだろうね。どれほど壁にぶつかっても人生は続いて行くし、乗り越えられなければそこでおしまい。きれいごとなんか言えない。だれも助けてはくれない。自分で全部やるしかない。そうすることでようやく先に進める。血反吐はいて生きて行くしかない。

 生きて行くのみんなつらいって思うじゃん?違うからね、社不はその100倍つらいからね。そうでないおまえらが人生つらいとか言うなよ。

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