【#50】つづけることで視界がひらける
継続しているからこそ″わかる″ことってほんとうにあるなぁとつくづく思う。
継続って一定の定点観測のようなものだ。
毎月、父の病院のつき添いで車で1時間かけて大きい病院にいくのだが、同じ道なのに毎回ちがう″気づき″があったが、それが″わかる″瞬間があった。
みちが広くなったと″感じた″のだ。
なんだ、単純にこれだけのこと。
そう思われたかもしれない。
単純に過去にとおったことがある道で、たまたま偶然おなじ道に遭遇しただけなら、「なんか前とちがうな?運転しやすくなってる?」とおもっても、「工事で幅をひろくしたのかな?」くらいでそれ以上はなにも思わないかもしれない。
でも定期的におなじことをしてるからこそわかることがある。
草が道路脇までせまっていた
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道の脇の草を刈っていた
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草はある程度刈られたら終わっていて少し中途半端なみためだった
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刈られた上に白いコンクリート?がのせられていた
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草がなくなって整備されたことで道が広く運転しやすく感じた。
圧倒的視界の広さに感動!!!
変化にただ気づくだけではなく、繋がりがわかって、そこから感動と感謝がうまれた。
「点と点がみえてその違いに気づく」だけでなく、「点と点を繋ぐ線までみえてわかる」。
傍観者でなく、当事者として″わかる″という感じ。だから感情もうまれ、みえてくる世界が文字通りひろがっていく。
なんだか上手くつたえられないけど、このnoteも然り、継続しているものにたいして同じような感覚を感じるのである!
じぶんの意思をもってつづけるって楽しくて仕方がない。
あ、今日でnoteが50記事目だった!笑
つづけるっていうテーマだったから、関連しているということで良しとしよう。。
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