料理で自由になった人類、豊かさによって肩身が狭くなった現代人
こんにちは。
週明け20℃超えになったと思ったら昨日から続く
しとしと雨で肌寒い日が戻ってきています。
突然ですが、読書感想文を書いていこうと思います。
アクセル全開週間で、読書1冊と決めたというのも、これがやりたかったから。
なぜ読書感想文なのかは、別途しっかり言語化します。
今日の一冊はこちら。
『一汁一菜でよいという提案』
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”家庭料理は美味しいものを食べることが全てではない”
私はこの言葉に救われた気がした。
この本の主題とはずれてしまうかもしれないのだけど、書きます。
読書感想文なので。
台所にたつ身としては、家族を喜ばせられないことに後ろめたさを感じる。
だから毎日献立に悩むし、しかもそれが1日3回×∞…
いくら「早うま楽レシピ★」が充実しても、なんだか逆に窮屈さが増す感じ…
食卓をみた瞬間の家族の反応で喜んでくれれば正解と感じたし、
そこまでの反応だったら”改善”が必要なのかな、とか。
実は、「美味しいものを食べること=幸せ」という考えは少し前から疑問を持っていた。
きっかけは、父親が病気で食事を口から食べられなくなったこと。
食べることが大好きだった父は、食べ物の番組をみては羨み
(TV番組が食べ物について触れていることがいかに多いことか!)、
私たち家族も父の前では食べ物の話はしなくなった。
でも美味しいものを食べれなくたって、栄養を摂っている、堂々と生きている。
配慮はする。でも可哀そうと思うことはちょっと違う気がする。
もし病気の治療が出来る未来が来たとして、
お米一粒でも口にすることが出来たら、父は世界一幸せと感じるだろう。
私は現在はありがたいことに味わうことが出来る。
日常は身体に向き合う、命を整える食をとる。
家族が喜ぶ姿が目に浮かんだら、とっておきに今日はそれを出してみる。
それでいいではないか。
そんなことを教えてくれた。
土井先生、ありがとうございます。
本に向かって正座して頭を下げたくなる本。
この本は人によって全く違うことを想起させるんだろうなぁ。
それだけ食事、料理というものは人生に寄り添っていて、
人をあらわすものなのだと思った。
お読み頂き、ありがとうございます。
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