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【#46】きめた行動がつづかないなら

ここ数日、いくつかの”きめた行動”ができていない日がつづいてしまっている。
全く考えない・やらないということではないが、躊躇したり、後まわしにしたり、じぶんに言いわけ(恥ずかしながら、やらなくてもOKな理由を瞬発的に思いついちゃっているんです)をしているという状況。

″きめた行動″、つまり行動目標をスケジュールにいれたり、誰かに宣言したりくふうをして以前よりできるようにはなっているけど”漏れてしまう”ことがあるのだ。
意図的に決めておやすみしているならいいのだけれど、やりたいのに漏れるというのがもんだい。

ふと、思い出したんです。
わたしは元々とても面倒くさがり、、
こうやって決めつけるのは好きではないのだけど、やったらやりっぱなし、行動するまで腰がおもい。
典型的な″なつやすみのしゅくだいを最終日にやるタイプ″だった。
でもビビリだからやらずに堂々としているのはこわくて、かぞくのまえでは直前に泣いたりたすけを求めたりよくお騒がせをしていた。
必死こいて″なんとかしてた″から周りのひとには気づかれず、むしろまじめでちゃんとしている印象だったようにおもう。

だからいくらシステマチックに行動をきめてもまだどこか根性や忍耐でやるようなところからぬけだせていないのかも。

ということを思いかえしながら、わたしは行動目標をきめるいぜんに、『じぶんの意思』をあらためてきめる必要があるとおもった。
さいきんこのことについて複数のところで耳にする機会があって、まさにわたしのことだと。

〇〇の行動をするじぶんになると決める
〇〇をしているわたしになる
〇〇な存在になる

ちょっと兆しとしてみえていることは、これまでは行動目標を『おもいだして意識する』状態だったのが、〇〇しているわたしになると決めたことで『しぜんと行動が思い浮かんじゃう』状態になってきているということだ。
中身は変わらないけど、意識だけ変えてる

中身が変わったから、そもそもの意識が変わった

というかんじ。
行動することに迷いがないってなんてストレスフリーなんだろう。
生活していてあからさまに迷うことってあんまりないと思うんです。
ちいさなもののほうが圧倒的におおい。
ただでさえ、ひとは1日に3万回決断しているといわれているのに、せっかく前向きにきめた行動をまよっているのはもったいない。

大事なのは行動ではなく、意思をきめること。


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