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【#91】〇〇らしさ、が嫌い

肩書や〇〇らしく、というのが嫌いだ。

「部長という立場なんだから、影響力を発揮しなさい。周囲からの見られ方を意識しなさい。」

「子供は子供らしく遊びなさい。」

ここまで直接的に言われなくても、″〇〇らしくない″ことに対する私たちのちょっと反発するような反応というのは根深い。

わたしが肩書やらしさに対して嫌悪感を抱くのは、『固定されたイメージ』や『他者からみた希望の姿』の押し付けを正当化するものになっていることが多いからだ。

特にひとつめの役職における会社からの期待や要望は、同じことを言われれば言われるほど、「自分の主張を通そうとして空回り」したり、「影響力があると言われて萎縮し余計慎重になって発言できなくなる」というケースを多くみてきた。

これは本人も会社側ものぞんでいる状態ではないだろう。

勝手に期待を肩書という名の枠で縛り、らしいからしくないかで良し悪しを判断し、らしくなければ自分にとって都合のよい要望を伝えて終わるというのが、とても違和感に感じるのだ。

とはいえ、じゃあなんでも自由でOKなのかということでもないので、敢えて″部長らしさ″ということで表現してみるならば、

・やると決めたなら腹を括る
・先頭にたって体現する
・勇気をもって何事にも向き合っている

ということではないだろか。
周囲との関わり方や仕事の進め方は、その人の得意なやり方でやればいい。
あるべきっぽくやる必要はない。

でも、この3つをよく見て頂きたい。

要は、

『自分のやっていることに責任を持つ』

ということである。

お気づきかもしれないが、これは職位がなんだろうが、会社員だろうが個人事業主だろうが、すべてに共通することだ。

だから「なぜ自分は腹をくくれないのか?」「なぜ自分は躊躇してしまっているのか?」を探っていけば、対処していく必要があることにたどり着けるのである。

らしくあることを振りかざしていくのはもうやめよう。

自分には向いてないからだめなんだといじけることはもうやめよう。

むしろ、″らしいこと″をしていてもまだまだ解決していないことのほうが多いのだから、らしさを疑うって大事かもよ。

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