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資本主義の究極化の先にあるカルトとは何か?

表題画像はトマ・ピケティと有名な著書「21世紀の資本」。
彼は、少数の資本家が世界の富の大部分を独占していることを膨大な資料を検証しながら著書の中で示した。軽めの記事にしたいので細部には踏み込まない。

昨今、カルトの話題が世間をにぎわせている。
カルトを裏で操るモノの正体など、ここで詳しく説明するつもりはない。

中世も過度な教会権威という意味でのカルトが蔓延していた。
それに疑義を呈したのがマルティン・ルター。そして始まったのが宗教改革である。そして、プロテスタントやら様々な分派が生まれた。

プロテスタンティズムが産んだのがアダム・スミスやベンサム。功利主義的正義感もまたカルト。
先の記事でも言及したがプラグマティズムもその系譜の哲学であり経済学である。この系譜の先に、カーネマンの行動経済学がある。おそろしい経済学。私は悪魔の経済学と呼んでいる。


ここまで、私が重要と思う学者だけに言及している。マルクス、エンゲルスの資本論から詳しく説明しろとおっしゃる方は、どうぞよそで難しい本でも読んでくだされ。

行動経済学によって資本主義は究極化された、と私は考える。
ようするに、本性を現したのである。

牛丼シャブ漬けや回転ずし店による偽装広告をまさか企業のちょっとしたミスだと思っている方は少ないだろう。味覚は認知バイアスを起こしやすい器官として知られている。つまり、早く味を覚えこませた企業が勝ちなのである。これが行動経済学に基づく認知バイアスマーケティングなのである。

・行動経済学 人間の認知機能の欠陥(非合理性)を考慮した経済学分野。心理学を経済学に応用して理論構築する(カーネマンなどの経済学者が近年ノーベル経済学賞を受賞した)。
・認知バイアスマーケティング 行動経済学の成果をマーケティングに応用する手法(人間を騙して物を売る手法)


企業は極めて合理的に、科学的に戦略を立てている。そのことを知るべきだろう。上記の出来事もちょっとしたミスのように言ってるが、決してそうではない。
これは行動経済学を悪用したマーケティングではない。行動経済学は、そもそも、このような利用を想定していた。最初から大衆を騙すための経済学なのである。

資本主義の究極化の先に在るのは競争による均衡ではない。一部の巨大資本が大衆を騙し、操作して、隷属化・家畜化するカルト支配の世界である。最悪の結末を産みつつあるのだ。ハイエクはアホだった。

カーネマンは元々イスラエル軍の情報部で戦争マーケティングを担当していた。まさにこの道のプロフェッショナルなのである。この人物が邪悪な経済理論を構築したのだ。興味のある方はプロスペクト理論を参照願いたい。話が長くなるので細かく説明はしない。

中世教会カルトに対するアンチテーゼとして生まれたのがプロテスタンティズム、そしてその思想が産んだのが資本主義。そして功利主義的正義観念。
しかしこの思想が生まれたのは、決して、西欧人が持つ合理性からでない。
プロテスタンティズムが合理的な思想だと吹聴した社会学者マックスウェーバーにも深く立ち入らない。彼の主張した西欧合理主義はウソっぱち。ご存じない方は、西欧人のほうが東洋人よりも合理的な思考ができて、その結果としてプロテスタンティズムが資本主義を産んだ、というようなことを言ったペテン師と理解すればよい。

西欧主義の本質について興味がある方はレヴィ・ストロースやジャレド・ダイアモンドを参照願いたい。西欧主義、西欧科学主義、西欧合理主義、こういうのは嘘っぱちで幻想である。二重スリットの問題にぶちあたったボーア博士はコペンハーゲン解釈という仏教思想に傾注してしまった。実存哲学は仏教の思想をパクったのである。

資本主義もまたカルトであった。

私はマックスウェーバーに長らくだまされてきた。そういう人は多いと思う。姜尚中氏は彼の研究者だったが、今、そのことをどう思っているのだろう。

資本主義は、究極化することでカルトと必然的に結びつく思想であった。合理性などない。そもそも人間の欲を究極化するシステムだろう。ピケティが指摘したように、一部の資本家に富が集中しまくっている。そもそも、考えてみればそうなってしまうシステムである。

この点、ハイエクも嘘つき。資本主義も全体主義と変わらなかった。彼は共産主義を全体主義と同じだと批判した。合理性(計画経済)を否定し、競争のなかで経済的均衡が生まれると主張し、資本主義の優位性ついて、多くの人々を説得してきた。しかしそれはウソだった。
アマルティア・センの市場の失敗を引用して長々とそれを説明することはしない。時間の無駄だろう。もはや、そんな小難しいことを知らずとも、資本のシステムにみな疑問を感じ始めている。まともな人であれば。

コロナが蔓延する中、毎日満員電車に乗り会社に向かうサラリーマン。彼らは我先にとコロナワクチンに飛びついた。彼らの意思からではないことは明らかだ。資本主義というシステムが彼らに未完成のワクチンを打たせた。恐ろしいことだ。人類はまだRNAウイルスに対する有効なワクチンを作ることができない状況で、未完成のものを打たせてしまったのだから。資本主義についても、まったくもって全体主義としか言いようがない。ハイエクもおそろしいペテン師だった。

経済学者はウソつきが多い。時間軸を軽視しすぎている。これは生物学者が時間軸を無視してゲノム編集食品を生み出したのと同じだろう。時間という要因を考慮に入れることは難しいし、でも、それができないなら学者など自称するべきではないと私は思う。そして、予想が外れたならとっとと退場すべきだ。

さて、資本主義が生み出した悪魔の経済学・行動経済学。人間の認知バイアスを悪用し、人間をだまし、操作し、富を得ようとする巨大資本の最終定理である。尚、この経済学は、現在、認知科学という学問を触媒にして遺伝子工学や脳科学などの生命科学や量子脳理論と結びつき始めている。人間をだます、ということから、脳(意識)の直接支配・操作、そして抽出へと研究の軸が移っているのである。本当に恐ろしいことになりはじめているのだ。

時間があったら記事を書きたいが、その際はペンローズなどをあげて、コテンパンに批判したい。量子脳理論という非常にまずい分野を開拓した死神である。「ペンローズの量子脳理論とカーネマンの行動経済学の融合、その瞬間に決まった人類の宿命」、というテーマが面白いかも知れない。

巨大資本がマーケット(人間世界)をテーム化(家畜化)するためにカルトを利用する。では、カルトとはなにか?

吉本隆明風に言えば共同幻想に誘うすべての思想または仕掛け、装置であろう。テーム化というのは共同幻想という深い森に誘い込んで森から出れなくする行為である。
つまり、この頃批判の的になっているカルトであるが、問題はカルト(深い森)自体ではなく、カルトを生み出す社会システム、経済システムなのである。

共同幻想に誘う装置で唯一カルトと言われないものがある。それは国家である。国家とカルトの関係はまたそのうち。

とにかく、昨今言われているカルトの正体とはプロテスタンティズムという思想であり、具体的には国際金融資本や、それが従える巨大メディアなのだ。(踏み込まないが、その思想は、アングロサクソニズムという民族主義思想も内包している。)
貨幣の貯蓄に制限のない資本主義のシステムの中で巨大資本が生まれるのは必然だろう。そして、システムの宿命として金融資本が力を持つのも必然だろう。信用創造機能を持ち、また、貨幣の発行権を持つ、場合により、財政ファイナンスによって無限に貨幣を供給できる。
その権限が国家にではなく、巨大資本にあるのが現代資本主義システムなのである。
彼らがメディアの支配を通じ、民主主義をある意味で悪用して世界支配を行っている。過半数を衆愚化すれば支配はできてしまうのである。しかも、そのチャンスが四年おきにめぐってくる。これは、実は恐ろしいことなのだ。

つまり、カルトが生まれたのは必然なのである。

巨大資本が我々に幻想を見せている。
その檻のなかで、日々の生活を満喫する我々の中に、その本質を理解するものがどれほどいるであろう。

以上です。