見出し画像

対スーパーナチュラル最前線。紛争を起こしている者たちの正体とは?

アメリカの詩人オーデン。
好きな作家です。
さて、わたくしの朗読を聴きながら記事を読んでください。

アメリカというのは不思議な国です。
極端な悪の勢力もいれば、極めてまともな人たちもいる。
振れ幅が極端な国。

さて、ウクライナ戦争を仕掛けたものとは?
NATO、英米など西側諸国であることは明らかです。

東京外大・伊勢崎賢治氏の貴重な証言映像。
NATOの東方拡大禁止に係る覚書が米大学に保存されているとのこと。
おどろきですね。
西側の主張にはまったく根拠がないことになる。
そもそも論で言えば、西側の約束破りが原因です。
動画は「自分探し」とタイトルが付けられているが神保さんはウィットに富んでいらっしゃる。
つまり、NATOのわがまま。

さて、国際政治通なら米が起こしたマイダン革命以降、民族主義者を招き入れたり、国内で育てたりして、東部のロシア語系住民を虐殺してきたことをご存じだろう。

貴重な報道映像が残っている。NHK-BSのワールドニュースは、マイダン革命以降の東部住民の虐殺をつぶさに伝えていた。
動画をご覧ください。全てを理解できるでしょう。
なんと、革命の裏にアメリカがたいことも報道している。驚きである。
※この映像は有名です。知らなかった方は、自信で何も調べていないというだけです。


2013年の革命以降、いったいウクライナ東部で何があったのか?
自分で調べようと思えばいくらでも情報が手に入る時代にありながら、真実を知らず闇に取り込まれる人々。
オーデンはそのやるせなさを詠ったのだ。

汚れている。
この西側世界の土は汚れている。
人の心が汚れ、無関心というエクスキューズによって、結果世界は滅びへと向かっている。

資本主義とは恐ろしいシステムだ(別の記事で語っています)。
疑問を抱かないとしたら、愚かなことである。

汚れた水には悪が宿り、その水を飲んだ人間は、いつしか豚へと変えられる。

汚れているのは土(人の心)


私たちは、この世界の不条理を誰かのせいにしてはいないだろうか?
はたして紛争を起こして利益を得る者とは、俗に言われるようにサタンのような勢力なのであろうか?

おもしろいピラミット図である。
原因や結果を誰かのせいにするのはいかにも簡単。


下の動画は哲学者で認知科学者でもあるチョムスキー氏のインタビュー映像。
フッサール以後、哲学は認識の問題を構造的に捉えようとしてきた。その流れに画期的な視点を取り入れたのが彼。そしてその視点が悪の勢力に徹底的に利用された。彼の生成文法やゲーデルの不確定性定理といった理論は、本質的に反科学主義でありながら、科学主義に取り込まれたのだ。特にコンピュータ科学において。

そして今、科学は量子力学的飛躍を遂げようとしている。その先端にあるのが量子脳理論。意識の支配、そしてさらには抽出をもくろむ為政者たちが作りだした学問領域である(この話は長くなるのでまた別で記事を書く予定)。

実存主義の帰結が人間の意識支配とは恐れ入る。
こんな状況をみなさんはどうお考えなのだろう。
無知は罪である。何も考えない傍観者は単なる豚と同じではないのか?
飛べない豚はただの豚。



とても恐ろしいのは、科学の本質としての自己増長である。
AIが意識を持つようになり人類を支配するなんてことを言う人がいるが、笑止である。それ以前に、科学という学問の本質が自己探求・自己増長であり、それが最終的には人類を滅びに向かわせているのではないのか?
ノーベル賞という珍奇な動機付けがなくても、科学は科学自身の中に永遠に終わることのない目的を内在している。私はそう考えている。
そしてその究極化の先に在るのは、人類の自滅ではないのだろうか。

科学それ自体が内在する究極の目的とは自己破壊では?

サルトルはノーベル文学賞を辞退した。
なぜか?
ノーベル賞という動機付けが決して世界を良い方向には導かないことを知っていた。洗脳のツールとしての賞なのである。
馬の前につるされた人参。
そもそも実存哲学は人間の因果論的世界認識へのアンチテーゼとしての意味を持っていた。キルケゴールからチョムスキーに至るまで、実存哲学の巨人たちが科学主義(ルサンチマン)を批判するのは当然だろう。

※わたしはチョムスキーも当然この系譜にあると考えている。
※ニーチェはルサンチマンを宗教を背景とした極端なひがみと主張したが、結局はそれが過度な科学主義へと結びついた。

そもそも東洋では、釈迦やそれ以前の時代から因果論的世界認識は間違えていると言ってきたではないか。仏教は宗教だと捉える向きもあるが、その本質において極めて論理的。だからこそコペンハーゲン解釈で有名なボーア博士も晩年は仏教に陶酔してしまった。

アインシュタインは二重スリット問題の前に有効な理論構築ができず、結局、その答えを仏教思想に求めたのがボーアであった。
皮肉なものだ。コペンハーゲンは当時実存主義哲学の研究でも有名であったが、そのエッセンスは東洋思想にあったのだ。
その後、西欧の実存哲学は仏教を手本として発展してゆくことになる。

サルトルはノーベル文学賞を辞退した


突飛な発想のように思えるかもしれないが、私は時々怖くなる。
難しい科学の理屈を知る必要はない。人間が科学とういものの本質に少しでも思いをはせることができるなら、その内包する凶悪性、世界を滅びに向かわせる本質に少しは気が付くのではなかろうか。


品種改良で巨大化された牛。下の動画は豚。歩行困難となる。


品種改良により巨大化され、歩くこともままならなくなった家畜たち。彼らは私たちに語り掛ける。お前たち人類の未来の姿を見よ、と。

共進化が事実なら、我々に待つのは滅びしかないのかもしれない。
この牛や豚は未来の我々自身でまちがいないだろう。以下のNHKの記事をご覧いただきたい。家畜との共進化については数多くレポートされている。

https://www.nhk.jp/p/ts/X4VK5R2LR1/episode/te/WQGG86GXMY/


科学は最終的にすべてを破壊してしまうのではないのか?
チョムスキーは西側科学主義の凶悪性を良く理解している。
意識支配を目指す最先端の現代科学、彼はその流れにも一貫して反発してきた。以下の記事は人間の意識支配が技術的に可能なレベルまで到達しているという内容。

※実際はさらに進んでいると想定される。なぜなら軍事技術をすべて晒すようなアホなことをするわけないからである。
おそらく、意識抽出もかなり進んでいるのではないだろうか。意識の量子解析が恐ろしく進んでいるのが今。詳しくはペンローズの量子脳理論をしらべてほしい。

https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/p3O572xlEk/


貴方は上記のような流れを理解してますか?

汚れた水には悪が宿る。
水を汚れたままにしておいたあなた自身が結果として紛争を行き起こしたとは考えない?
科学を野放しにし、我々を滅びへと向かわせるのは闇の勢力でもなく、科学でもなく、理解しようとしない我々自身の無関心にあるのではないでしょうか?

アダム・スミスが国富論を上梓したときに人類の宿命は決まったのか。
または、農耕牧畜を始めたときか。
いや、貨幣経済が生まれたときか。

アダム・スミスは想像力のある経済学者だった。
著書・感情道徳論で警鐘も鳴らしていたのだ。共感の無い社会は今のような危機に陥ると。

アダム・スミスの「道徳感情論」
他者への共感の重要性を主張した


私は思う。
これもまた宿命なのだろうと。
回転対称性の自発的破れを想うとき、私はとても悲しくなる。
氷が溶けるように、我々の平穏な営みも柔らかく溶けだし、そして最後には蒸発して無くなるのだろう。
そのことにもっと恐怖していたなら、もう少し長く平穏に暮らせる時間を持てたろうにと、皆が後悔する未来はそう遠くないのではないか。

この世界の本質が、ビックバンで生まれたほんの束の間の輝きであったとしても、できる限りこの輝きの中で長く生きてゆきたくはない?

きっともう気付いても遅いだろう。

無自覚な愚かな人類よ。恥を知るがいい。
早晩、君たちは本当に豚にされ、そしてもう人間に戻ることはないだろう。

ブヒブヒ
以上です。