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ゲノム編集社会の到来と無関心な人々、まん延する虚無の底にあるもの

第1章・体制を問う人、走狗となる人

西部邁はオルテガが大好きだったようです。

スペインの哲学者オルテガは科学技術に凄く反発した哲学者でした。科学者を「近代の原始人、近代の野蛮人」と罵ったことで有名です。一方、西部は科学者を「専門バカ」と言って罵りました。専門に特化してアンバランスな知識しか持たない科学者をこのように表現したのです。西部邁は東大教養学部の教授を務めるほど幅広く学問に通じた方でした。

わたし、オルテガは芥川龍之介によく似ている人物だと思います。両者とも思想を体系化することよりも、エッセイなど短文執筆や啓蒙活動によって庶民の説得を試みた哲学者(文人)でした。説得しようとした相手が庶民だということも共通していると思います。彼らは反権力、反体制だったのです。

オルテガは非常に実際的な人物で、アカデミックな権威よりも、人間の生き方を重視した人のように思います。彼は社会で生きている自分の存在を深く見つめ、実存を意識した人だったのではないでしょうか。W・ジェームズやフッサールに影響を受けたようですが、なるほど彼の生き方には実存哲学やプラグマティズムがよく体現されていると思います。

W・ジェームズはプラグマティズムの代表的な哲学者です。プラグマティストというのは実際的な思想を重視します。理念的に素晴らし思想や哲学、理論よりも実生活に役立つ理論を重視するのです。イギリス経験論の系譜にあります。美しい理論も結局は現実社会にあてはまらず、まちがえていた、という事はありますよね。なので、現実的な理論を重視しようと考える方々が出てくることは当然といえば当然です。

少し脱線しますが、アインシュタインの理論はボーアのコペンハーゲン解釈を論難することができなかった。理論上、一見、整合性がとれているように思えても、現実世界では違っていることはあり得るのです。因果論的な科学理論や哲学論理が実際の世界にそのまま当てはまるとは限らないのです。それは、結論をいえば、因果論的思考自体が人間的なある種のカルト的思考なのです。実在する世界を、人間として理解しようとする任意のひとつの方法ということですね。科学は絶対ではありません。

かなり話を端折りますが、フッサールは哲学世界のなかで、そのことを論理的に証明した人でもあるので、とんでもないプラグマティストとも言えるわけです。実存主義というのはそもそも、とことん論理的にリアルをとらえようとした哲学の系譜でもあります。フッサールの現象学は実存主義哲学を体系的に整理した集大成でもあります。

オルテガはそのような思想に影響を受けたのです。

オルテガ

西部邁、オルテガ、芥川龍之介ってカッコいいですよね。

反体制として大衆に語り掛け、説得を試みようとした彼らはどうしてあんなにカッコよかったのでしょうか。いや、逆かもしれない。カッコいいからこそ、権威に固執しなかったのかもしれない。
勇者が腐敗した権力に立ち向かう構図はアニメでもよくありますが、そういう姿が基本的にカッコよく映るのかもしれません。そもそも、カッコいい男性は権力欲のない人が多い気がします。権力が無くてもモテてしまいますからね。
つまるところ、モテない人ほど権力を欲すると言えるかもしれません。モテない人がお金や権力を欲する。でも、それはそれで仕方のないことで、それについては全く否定しません。そのせめぎあいこそが、この世界のありようなのでしょう。

すぐに話が脱線してしまいます。

先ほど、ウィキペディアを見たらW・ジェームズが西田幾太郎と夏目漱石に影響を与えたと書いてありました。笑っちゃいますね。漱石は無いですね。どちらかといえば芥川でしょう。実際与えたかどうかは知りませんが。

漱石がやったのは大衆の説得ではなく扇動ですよ。時の政権に迎合して大衆を戦争に導いた人物です。そんな人がなんでプラグマティスト?権力に迎合して妥協しながら生きることがプラグマティズムではないです。カッコよく評価しすぎです。漱石は過大評価されすぎです。
孫文など大アジア主義の動きを潰そうとする時の権力が、大陸の人々がいかに日本人よりも劣っているか、という偏見を植え付つけるために漱石を利用しました。同様に、芥川も利用しようとしました。だからこそ芥川は悩み、そして自裁してしまいました。私は、最後まで芥川は権力に屈することのなかった人だと考えています。

ただ、当時は文人や人類学者をはじめ多くの科学者、医学者などが権力の圧力に負けて手を貸してしまいました。甘粕など強力な憲兵に反体制派はことごとく粛清されてしまいましたので、仕方ない面もありました。怖いですものね。そりゃ、怖いですよ。でも、全く情状酌量のない文人もいます。菊池寛です。積極的に文芸銃後運動に参加し、ペンを銃に例えて積極的に国家のために筆を執りました。そして、そのような運動をリードしました。芥川とは正反対の思想の持ち主が、戦後に芥川賞を創設し、芥川の思想を取り込んで商売の道具に使っていることは本当に許せない。
こんなことが許されてよいのでしょうか?
日本の論壇、文壇は腐りきっています。

漱石や菊池のように侵略戦争に手を貸してしまった文人が今も評価されているのはなぜでしょうか?おそろしい歴史修正主義の流です。また、こういう戦争に組した文人が戦後もアメリカの走狗となって意図的に持ち上げられてきたことも要因です。ただ、これが戦争に負けるということなのでしょうね。こういう事実を知らずに漱石を楽しそうに読んでいる人々をみるにつけ、いつかちゃんと事実を知ってほしいと願うばかりです。過去の私もそうでしたから。

夏目漱石
卒業した東大英文科は高級官僚の養成学部でもあり超難関だった。

しつこいですが、日本の文壇、論壇はこんな評価を平気でやるから大嫌いです。誰でも知っているような事実を隠蔽している。論壇の文人は、邪馬台国の畿内説を主張する考古学者たちのように、嘘ばかり吹聴するまさに権力の走狗といえるでしょう。文人が国家の走狗とは、恥ずかしい限りです。しかし、何度も言いますが、これが戦争に負けるということの意味でもあるのでしょう。やるせない思いがします。

また脱線しました。

ウィリアム・ジェームズ

西部氏もオルテガも、大衆に期待し、いつしかこの社会に変化が訪れることを期待していました。
しかし、、、西部氏は自裁してしまいました。悲しいです。私は保守でも右派ではないのですが、彼の損失は日本にとっては計り知れないと思います。庶民を信じ、つねに庶民の側にいた右派の論客でした。よいですか?左派の論客だけが庶民の側に立っているわけではないのです。私は彼の言説を通じ、そのことを知り感銘を受けました。自分の生きる同時代の右派にも庶民の側に立つ人がいるのだと。

過去には沢山大衆の側に立つ右派の論客がいました。そもそも右派が誕生したころは大アジア主義(アジアが一体となって西欧帝国主義に対峙しようという考え)を掲げていましたし、昭和恐慌の時代は東北の農村部を救おうと命がけで戦った右派の方がいましたね。軍部にもそういう方がいていろんな事件が起きた。とにかく、当時は、貧富の差が激しかったのです。恐ろしいほどに。※言っておきますが、私は暴力は絶対に反対です。
ですが、大アジア主義は明治政府によって瓦解させられていきます。その裏には政府を動かす巨大な勢力があったと言われています。それは英国だとも、その他の勢力だとも言われますが、真相は闇の中です。
とにかく、政府は大アジア主義ではなく、アジア諸国と敵対する関係を選択したのです。

思想としての右派の方々にも庶民のために頑張ろうとした人がいたという事実だけ知っておいてください。今は、、、そういう右派の論客はいないです。

また脱線しますが、貴乃花が相撲界から追い出された時もショックでした。
大衆のために何かを良い方向に変えていこうとする人々は、このカルト社会では追い出されてしまいます。
庶民をプロレスの観衆でしかないと思っている人たちと、庶民に嘘をつくのは良くないと思っている人たちがいる。この二元論的解釈は、まあ、あてはまりますよね、まちがなく。

めちゃくちゃ前置きが長くなってしまった。ブクブク太った鯛を見るとお相撲さんが頭に浮かんでしまいます。

それでは、ここからアクロバティックに本題につなげてゆきます。
つまり、貴乃花ではなく相撲協会の側、芥川ではなく漱石の側、ようするに権力の走狗となった側がゲノム編集を強力に進めようとしています。そのような流れは、オルテガや西部が目指した方向とはまるで逆ということです。

そんな方向に進もうとする社会が、ついに、いろんな意味で究極化してきました。

第二章・ゲノム編集社会の到来

下の鯛、怖くないですか?

みなさん、おめでとうございます。
日本が世界初、ゲノム編集動物が市場流通した国となりましたよ!

実は本日、海の日ということもあり、特別企画として、表題のテーマで、ネットで少し配信をさせていただきました。
みなさん非常に無関心でびっくりしました。
8割もワクチン打ってしまってる社会では、私のような考えを持っている人はもはや少数派なんだと感じました。そして打ちひしがれ、焦燥と孤独、絶望を感じてここに書き連ねている次第です。
さて、以下、本日の配信内容のまとめです。

まずは関連記事。時間のある方はご覧ください。
ネットでも大手メディアの関連記事は沢山検索できます。


上の写真の下側の真鯛がゲノム編集真鯛です。モリモリ太って美味しそうですね!
って馬鹿ですか?

気持ち悪いです。

しかし、この写真を見て気持ち悪いと思わない人がかなり多いようなのです。私、魚釣りが好きなので、本来の魚のかたちをよく知っています。でも、現代社会には魚の本来のかたちをよく知らない人もかなり多いようです。
分業が究極化されて次はAIやらメタバースやら言われている時代。魚をそのまま一匹買ってきて捌くことなど滅多にないですよね。

社会の生産体制を効率化するためにアダム・スミスが説いたのは分業の重要性でしたが、同時に重要なものとして指摘したのが共感でした。単純に誰かに共感するとか思いやるとかってことではなくて、社会を知るということだと痛感しました。自分はその仕事には従事しないが、誰がどのようなことをやっているかを知ること。それが共感だったのですね。
国富論が有名ですが、道徳感情論というとても重要な著書を残しています。その中で、「共感」や「公平なる観察者」という概念を使い、分業が究極化されたときに陥るであろう危険性に対し警鐘を鳴らしています。
ここで難しい話をするつもりはないのですが、科学を批判するとき、問題点を洗い出したり、その解決策を考えるとき、私はいつもこの概念を頭に思い浮かべてしまいます。重要概念と考えていますので、ややしつこく説明しました。

ともかく、大事なことをピンポイントでお伝えします。

・遺伝子編集食品は長期的な安全性が分かっていません。
・安全審査が行われていません
・表示義務がありません

安全審査が行われなかったり、表示義務がないのは、この遺伝子編集が品種改良と同じだという論法だからです。

馬鹿なのでしょうか。

品種改良だって怖いものですよ。要するに、外環境の変化と比べて急速に変異(改良)のスピードを速めることが問題なのです。

生命体は相互に関係して、関連して、調和して、絶妙な均衡を保っています。互いに順応し、適応するためにRNAがありますよね。変異しやすい遺伝子のことです。DNAとは別にRNAっていうのがあります。
これは外環境に素早く適応するためにあります。
このRNAがあるおかげで、いろんな生命体は相互に関連し、生態系として絶妙な均衡を保っているのです。

つまり、真鯛をゲノム編集すると、真鯛の外環境が真鯛とRNA的に調和を取ろうとしてRNA変異を起こすと考えられます。
これは確実に起こると考えられますが、要するに、その変異のスピードを時間軸としてどう捉えるかです。積極派はこれを長い時間と考えますが、反対派は短い時間で起こりうると考えるわけです。短い時間で起こった場合、予期せぬ健康被害がもたらされることになります。
問題は、積極派は長い時間かかると思っているので、検証すらしようとしません。だから、安全審査もしない、表示義務もないのです。

興味ある方は調べてください。とにかく野菜や魚などあらゆるものにゲノム編集技術が応用されようとしています。私は怒りまくっています。そしてやりきれなくなって疲れてしまうのです。

記事のテーマはなぜ人々が無関心なのかってところなので、この章はこのあたりにしておきます。(他の記事でも所々でゲノム編集に関する話をしていますので、興味があれば他の記事も読んでみてください。ジャミロクワイが反ゲノム編集の歌を歌っているのをご存じですか?)

※そもそも、トウモロコシやその加工品など、遺伝子組み換えされているのに表示義務が無いものがあります。コーンスターチを原料に製造されるブドウ糖やアルコール、アミノ酸等、恐ろしく身近にある食品ばかりなんです。みなさん、あまりに無関心すぎませんか?冗談抜きでとんでもない話なんですよ。
 

第3章・まん延する虚無の底にあるもの 

社会構造は、本質的に人間の錯覚です。国家や巨大資本が、メディアなど様々なツールを用いて私たちを衆愚化しています。「実存」という人間の認識限界(認知バイアス)を利用して、科学的に、テクニカルに、私たちを洗脳しています。

第4章・虚無をまん延させるもの

国家や巨大資本です。

第3章と第4章を書いていて、筆が止まりました。
この第3章と第4章のテーマは、ちょっと適当に語って終わらせられる話ではないと思ったのです。敵(巨大資本)の正体ややり口をいい加減な形で語っては、自分がこのnoteにそもそも記事を書いている意味がないと思いました。

それで、この第3章と第4章のテーマは別記事として書きました。
別記事は、思想家・ボードリャールと映画「マトリックス」を語った記事ですが、そもそも、この記事を続きを完結させるために書いた記事でもあります。別記事では特に経緯に触れていませんが、そもそも私は現代の大量消費社会に遺伝子編集食品を紛れ込ますことに怒り狂っているのです。これは今後どんどん増えていき、最後には遺伝子編集食品だらけになると思います。そういう流れの先にある未来はどういう未来でしょうか?

ということで続きは下のリンクの記事をご覧ください。

以上です。

あとがき

この記事は、2022年7月19日に書き始めて、2022年10月25日に完成しました。ほとんどの部分は2022年7月19日に書き終えたのですが、上でも書きましたが、第3章と第4章の部分を書こうとして筆が止まりました。理由は記事の中に書いたので割愛します。

記事の中で科学を批判した思想家としてオルテガや西部邁を取り上げました。科学的整合性を備えた論理に打ち勝てるのは、同様の科学的論理を備えた科学者か、哲学的な思想家か、大衆を扇動できるような政治家だと思います。
西部やオルテガは思想家がみずから大衆を扇動しようとした点において、非常に重要な思想家であったと思います。最近はそんな気合の入った人を見かけませんね。これは、メディアの良心というところも大きいのでしょう。(最近はメディアに良心が全くない)
続きとして貼った先の記事では現代思想家であるボードリャールを取り上げています。個人的には、みなさんに是非読んでほしい記事になっています。これまで書いてきた記事の中でも、とりわけ意識して、平易に書いたつもりです。重要な社会構造の仕組みを理解してもらえるようにです。

いきなりですが、なぜ、戦後、日本に原発が沢山作られたのかご存じですか?
日本列島を一つの大きな地雷にみたててるわけですよね。対共産圏の盾として、いざとなったら日本中の原発を爆発させるわけです。原発というのを、核爆弾と同じように使おうとしている人たちがいるわけです。実際には、そんなことすら知らない人が沢山います。
ともかく、本当に日本が好きで守りたい人が原発を推進するわけがありません。事故後の汚染水がそろそろ海洋放出されるそうです。そもそも凍土壁があれなわけで、そもそも海洋放出もあれなわけです。デブリはもうどこにも持っていくことができないので、本当は、あそこで石棺として完全に閉じ込めるしかない。じゃあ、なんで今のようなことをしているの?

このような視点で物事を捉えることは非常に重要です。あらゆる事柄の詭弁が見えてくるからです。何についてもそうです。何事も裏を読むことばかりは本当はしたくない。でも、行動経済学を応用した認知バイアスマーケティングの誕生で、世の中には嘘が蔓延しています。本当に何もかもが信じれない時代になったと思います。

ゲノム編集社会の先にある未来がどんな未来か、想像すればわかると思います。(続きの記事を見て下さいね) 本当に、農薬にしても、食品添加物にしても、あれもこれも、おかしなことだらけです。あれもこれも、せーんぶ、記事できればいいのですが、文章を書くのは結構大変です。酔っぱらって気分が高まってないと、なかなか文章を書こうって思いません。酔っぱらって書くので、後で見返したら誤字脱字やおかしな日本語だらけで、それを直すのも大変。
私は一体何をやっているのでしょう。

社会を変えていくには、一人一人が声を上げていくことも重要ですが、最も重要なのは、仕組み、だろうと思います。こういうnoteとかブログという仕組みは面白いですね。最近それに気が付きました。動画よりも、文章表現が得意な人もいるわけでして、そういう人にとっては素晴らしいツールですし、社会を変えていくためのツールにもなると思います。

最近は米の巨大ITも動画投稿規制など言論統制しまくっていますし、もうアメリカも本当におかしなことになっていますね。言論の自由を主張したミルトンが清教徒革命の支柱になったトラウマがあるのでしょうか。あの頃から自由という概念は、覇権国家、帝国主義によって吸収され、ロジックとして利用され、他国を騙すためのツールとして使われるようになりました。彼らは反省して、自由という概念のヤバさを理解し、むしろそれを他国を騙す道具として使えば滅茶苦茶有効ということに気が付いたのです。そういう発想の先に現代の民主主義社会があります。おそろしいですね。(民主主義を完全否定するわけではないです。民主主義を人間牧場のようにしかとらえてない勢力がいるのです。)

好き勝手書いてたら、何が言いたいのかよくわからないあとがきになってしまいました。
書きたかったことは、、えっと、つまり、、、食べ物には気をつけましょう!ってことです。
みなさん、ご安全に!

2022.10.25