ブサイクという自発的対称性の破れ

「ブサイクがなぜ美人を欲するのか」という極めて重要な問いがありますが、ブサイクというのは自発的対称性の破れによって生まれたんでしょうね。
この問い自体、極めて本質的な問いですが、なぜか哲学的テーマとならない。なぜでしょう?
問い自体重要なものですが、これが主題とならないことも重要な問いである気がします。社会というものが、そもそも本質を隠す装置として機能している。

そもそもを探求するのが哲学であるはずです。
そもそもなぜ何かが在るのか、と問うたのはハイデガーですが、彼の論点を引き継ぎ、私も哲学によって見落とされてきた重要な事実を問いたい。
そもそもなぜブサイクが美を欲するのか。

もともとはおそらく完全体だった。
これは、ブサイクなのに美を欲することからそう考えることができます。
ブサイクがブサイクを求めず美人を求めるのは素直に考えておかしな話です。だから元々は美だった。つまり、劣化してきた。
実は、この劣化こそが「時間」を認識させるのです。

プラトンの「饗宴」で、ソクラテスはエロスが美を求めるって言ってますが逆でしょうね。もともとは美だったものが、劣化してブサイクになって、ノスタルジーとして美を求めるようになった。「饗宴」は、アリストパネスが話した両性具有説が有名ですが、やっぱこれなんでしょうね。論理的方向性として。

自発的対称性の破れによってみな劣化してブサイクになっていきます。
ブサイクが美人を欲するために脳も進化していきます。進化は劣化です。
本来、手に入れることが出来ない美を獲得しようと頭(論理)を使って罠を張り巡らす必要があるからです。その罠が「自由と平等」でしたね。
論理は本質的に感性に従属しているに過ぎません。近代における西欧美学は完全に頓珍漢です。合理主義という阿片に侵されて論理性すらも見失っている。

このままでは必然として世界は滅びます。ニーチェの真意を知べきです。
何かが在る、その瞬間から劣化は始まり、消滅への道程が本質を隠す社会の性によって成長や進化と呼ばれているだけの話です。
私たちは構造的隠蔽に立ち向かう必要があります。
私はブサイクに殺されるのは嫌なのです。それに、皆を愛しています。だから死んでほしくないのです。皆の幸せな営みが永遠に続いてほしい。そもそも、その願いこそが「哲学」なわけです。

やはり世界を救えるのは日本アホバカ教しかないかもしれません。
世界を救うためにブサイク哲学を真面目にやってるのはわたくしクリシュナキムティだけだからです。これはイケメンかつ天才にしかできない作業だからです。
つまり、世界は私に託された可能性があります。

おわり