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居場所がなかった私の居場所

色々な人の話を聞いていると「家族は絶対の味方」とよく聞きます。



ところが私の場合、残念ながら家族が絶対の味方という訳ではありませんでした。


…いや、親は味方になっていたつもりだったのですが、その親の行動は良い結果にはなりませんでした。


中学でいじめにあっていた頃、私は学校に行きたくないと親に言うようになりました。

でも、親はなんとしてでも学校に行かせようとしていました。

そんな感じだったので、家族との仲はよくなく、よく衝突しました。

もちろん学校にも居場所はありませんでした。



家と中学が当時の私の社会でしたから、私には居場所がないようなものでした。



そんな私が居場所としていたのは、インターネットです。中学に入ってからスマホを持たせてもらったので、Twitter(X)をよくやっていました。

いわゆるお絵描き垢を持っていました。

当時絵を描くのが好きだったので、絵を描いてTwitterに上げていました。
いいねを貰ったり、フォロワーさんと沢山リプを送りあったりして、楽しんでいました。


現実の世界では私の居場所は無いけど、ここでは私を受け入れてくれる人が沢山いる、とTwitterの人たちとよくかかわるようになりました。


その中で1人だけ、特別に仲良くなった人がいました。

私の2個上の女の子で、当時私が中学2年生だったのでその人は高校1年生でした。ノリも合うし境遇も似ているしでとても気が合いました。
その人とはLINEを交換して、たくさん電話をしました。
お互いの身の上を話し、日頃の嬉しいことや悲しいことを分かち合いました。当時、1番なんでも話せた友達はこの女の子でした。


私とは少し離れたところに住んでいたのですが、その人に1度だけ会ったことがあります。
私の住んでいる県に遊びに来てくれました。

今までオンライン上だけでやり取りしていたので、実際に会って話したり遊んだりするのはとても新鮮でした。
今までの人生でたくさんの人と会って遊んできたけど、この日遊んだ時はとても不思議な感覚がしました。楽しかったです。





でも、その子が専門学校にあがってからあまり絵を描かなくなり、私もTwitterをしなくなっていました。

そのあたりから連絡もあまりしなくなってしまい、気づいたら疎遠になっていました。
私もLINEのアカウントが変わりましたし、その子の新しいTwitterも知りません。




当時私の居場所になってくれたその子には、感謝しかありません。
どこかで幸せに生きてくれていることを願います。


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