1871年「散髪脱刀令」の布告

 不平等条約の改正をめざす明治政府は,近代化の一環として1871年に断髪令(散髪脱刀令)を布告しました。主な内容は「散髪脱刀勝手たるべし(髪型は自由とし,刀は差さなくてもよい)」というもので,本来は士族や華族に対して発せられたように見えますが,政府の本意は欧米に対して近代化を示す方針をすべての国民に明らかにすることでした。

1871年8月9日太政官布告(国立公文書館ニュースより)

 皇室や政府首脳,官吏は率先して洋装に転換しましたが,庶民においては散髪はなかなか進まず,その後も何度も重ねて布告が発せられました。その一つに「散髪した頭を猛烈な日光・寒風にさらせば,さまざまな病気を招く」「人の精神は頭部にあるため,大切に愛護しなければならない」という布告があります。散髪した後の頭に帽子をかぶることの道理を説いたもので,ここから帽子の着用が一気に広まったといわれます。最初の断髪令から約20年後,条約改正交渉の難航する鹿鳴館時代のことです。当初は防疫面よりも,ザンギリ頭で外を歩くことの恥ずかしさから,頭部を覆い隠すための道具として人々は帽子に飛びついたのではないでしょうか。以後成年男性の間では帽子の着用が急速に広まり,以後昭和初期にかけてその着用率は9割にも達しました。
 いったい日本人の多くが未だマスクを外せないのはなぜか,さまざまな理由が頭を巡り,一時は政治的指向と関連づけて考えてもみました。生存権の根幹以前の”十分な呼吸を得る権利”(憲法学者も想定していなかったであろう)を自ら放棄してまで資する公共の福祉とは? 市民の自主的な選択による警察国家がそのうち樹立されるのではないかと。しかし実はそんな大層なことではなく,上記のような理容・服飾面に背景があるのではないかという気がしています。あまり医学的根拠のない,医学面の推奨をきっかけに着用が爆発的に広まる点は,明治の着帽とマスクは似ています。しかし時代を経ても極端に走る性向は変わらず,現在の日本人の大半は意地でも帽子をかぶりません。ではいつから帽子をかぶらなくなったのでしょう。youtubeで映像を探してみましたが,高度経済成長の初期から都市での着帽率は低下していったように見えます。太平洋戦争中に欧米文化を嫌悪して脱いだというわけではなさそうです。それでは脱帽のきっかけは何かと考えると,これはよくわかりません。ポマードの衰退やシャンプーの普及,薄毛の増加などを考えましたが,これらは統計として残っていません。しかし映像では高度経済成長期の男性の頭は,今よりはるかに黒々ふさふさに見えます。石油系シャンプーの普及とともに薄毛・白髪が増加したという仮説も考えられますが,いや,ハゲを隠すには帽子では? と普通は思います。
 ここからが非常に興味深い習性ですが,人間が自分の姿を客観的に把握することは非常に難しく,自分はまだハゲとは言えないという認識が勝り,残る頭髪を保護するには蒸れる帽子をかぶるわけにはいかないという結論に至ります。ポマードの衰退とともになでつけない髪型が定番となり,帽子は丹念に整えた髪型を台無しにするものとして毛嫌いされるようになりました。しかし”他人の髪型ほどどうでもいいことはない”という世の真理に気づく人はなかなかいません。さらに肥満率の上昇とともに,何を着ても似合わない嫌悪感がじわじわ高まっていた2020年に登場したのがマスクです。当初は防疫が目的でしたが,ウイルスは容易に透過すると実証された後も,集団免疫が確立されたと報じられた後も,頑なに着用し続ける理由としては,ルックス面での恥ずかしさを,顔面を覆い隠して身元不明とすることで解消する手段として,もはや手放せなくなったということではないでしょうか。猛暑下においてもマスクを外さない一方で帽子は頑なにかぶらないという理解を超えた装いは,これで説明がつきます。つまりコロナ禍を通じて理性に異常を来したわけではなく,公共の福祉に資する精神が過剰であるのでもなく,もっとくだらない日本人の性向に背景がある,というのが当面の結論です。
 散髪の進まない状況に,明治政府は「来日した外国人が日本人を見たとき,腰に刀を差したちょんまげの人もいるしザンギリの人もいるというのでは,いかにも後進性を表すもので,恥ずかしいことである」とし,国民への説得を続けました。接種証明廃止とともに大挙来日している外国人は,ただでさえ何を考えているのかわかりにくい民族がさらにマスクで顔面を覆い続ける姿に,もはや不気味さを感じているのではないでしょうか。

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