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【第五回/ライダーズ・オブ・ジャスティス(2022)

story.

ある日、少女の自転車が盗まれた

 困ったことになった。
 母に車で送ってもらうよう頼むけれど、車もエンストしてしまった。
 これじゃあ、もう学校にいけない。
 いつもと少し違う、ズレた日常だった。
 母娘は電車で街へ出かけることにした。学校はサボタージュ。良い気晴らしだ。たまには、そういう日もいい。

 しかし帰りの電車で事故が起きた。
 理不尽な事故が乗客を襲った。
 母は死に、娘だけが生き残った。

 大勢の乗客が死亡した。
 偶然にも、彼女たちと電車で乗り合わせた統計学者オットーがいた。
 オットーは電車事故に違和感を覚える。

この事件はおかしい
 決定的な証拠はない。しかし、おかしな点がいくつもある。
 どれもこれも「統計的におかしなこと」ばかりだ。
 「統計的におかしなこと」を繋ぎ合わせ、オットーはとあるマフィアグループに辿り着く。
 マフィア達は自らを「ライダーズ・オブ・ジャスティス」と名乗っていた。
 

gossip.
 主演はマッツ・ミケルセン。
 通称:「北欧の至宝」である。
 私も「マッツみたいな顔面に産まれたかった」といつもボヤいている。
 マッツはカッコイイ。出演している役もたくさんある。だけど、どうにも私好みの作品がない。ノレない作風ばかりで「マッツ・ミケルセンの出ている映画ならコレが好き」と言えるものがなかった。
   
 強いていうならゲーム「デス・ストランディング」でモーションキャプチャー出演していたマッツが好きだった。小島監督の作風にばっちりマッチしている。
 これがまた美味しそうに煙草喫うんだよな!

そして、とうとう・・・
2021年はマッツ・ミケルセンの年となった。

 彼の出演した「アナザーラウンド」と「ライダーズ・オブ・ジャスティス」が最高だった。私も「マッツ・ミケルセンの出ている映画なら、コレ」と自信をもって言える作品ができた!やったね。

 映画ファンの間ならば「アナザーラウンド」が有名ではないだろうか?
アカデミー賞にも取り上げられたし、マッツがぐびぐび酒瓶煽っているポスターが印象的だ。
 「アナザーラウンド」は傑作だ。中年男性のアルコールによる変革に、私も泣かせられた。もしアナタが観るのなら、酒を飲みながら、のんびり楽しむのをオススメする。

 

 だから私は「ライダーズ・オブ・ジャスティス」を紹介したい。

 あえて、というやつだ。
 この悲しくも愉快な、唯一無二をもっと大勢に知って欲しい。
 北欧映画ならではのブラックコメディが素敵なんだ。

 先にネタバレしておくと、これはクリスマスムービーだ。特に祝いたくもない気分のクリスマスに観てみるのもオツだ。

「ライダーズ・オブ・ジャスティス」の登場人物は、皆が明確になにかが欠けている。 

  • 戦場の兵士としては優秀だが、現実世界では暴力以外のコミュニケーションを知らないマークス。 

  • 人当たりは良いが、おせっかいで右腕が不自由なオットー。 

  • あらゆるカウンセリングを受けたから、カウンセラーもこなせてしまうレナート。

  • びっくりするくらい肥満で強迫性障害のエメンタール。

 偶然によって集まった者達が疑似家族的コミュニティとなるのだが、これが奇妙で面白い。「社会不適合者版フルハウス」みたいなシチュエーションが、いつまでも観ていたい。

偶然と必然

  自転車泥棒という偶然から、悲劇に転じる家族。
 この映画にはたくさんの「偶然」がある。普段ならば、ちょっとした石に躓いたような偶然ばかりだ。ひとつひとつの偶然に意味はない。考えるだけ時間の無駄というもの。
  だけど劇中のキャラクターたちは偶然を認められない。とくにマークスは愛する妻を失い、慰めを求めていた。神様の気まぐれで不幸にみまわれたのだと信じられない。信じたくない。


「私達の不幸には、なにか理由がある筈だ」

 この世全ての出来事には関連性があり、因果がある。ただ意味もなく苦しい目に会うだなんて受け入れられる者は、そう多くない。

 高く投げた石が落ちてくるのは当然だ。
 重力があるから、因果があると解る。
 
 だけど私達の人生が、どう転ぶかなんて誰に分かる? その日、誰と関わるのか、どんな行動をとるのか。どんな巡りあわせに合うのか。どんな環境に投げこまれるのか。
 私にも貴方にも、この世の誰にも確かなことは解らない。
 因果とやらがあるのかもしれない。全ては必然かもしれない。だけど人間には見通せない。現実は人間の認知能力を超えているのだ。
 どれだけ不幸の理由を探したって、みつからない。もっともらしい理由をでっちあげるしかない。

「ライダーズ・オブ・ジャスティス」は偶然の落とし穴を教えてくれる。
 あらゆる偶然の「理由探し」がしたい。だけど宗教で説明するのも、科学で照明するのも不可能だ。(むしろ現代は科学的に説明された“でっちあげ”ほうが強力なのかもしれない)
 
「ライダーズ・オブ・ジャスティス」は世の理不尽を、みごとな脚本で表現している。
 普通の物語ではない。
 多くの名作物語には一本の線があり、伏線とロジックを組み合わせて、つじつまが合うようにできている。それが「よく売れる教科書的なストーリー」というものだ。だけど本作はその常識を正面から破壊した。気持ちがいいくらいにストーリーを破綻させた。
 裏組織〈ライダーズ・オブ・ジャスティス〉を巡る結末は、どうにも笑うしかない。復讐から始まった物語は、偶然でしか起こりえない結末へと繋がった。

「これって笑うとこなの?」と迷ってしまう北欧映画のブラックジョークを楽しんでくれ。

 

陰謀論

 この映画で、陰謀論の根深さを垣間見る。
 人は災難に会うと、理由を求めずにはいられない。
 ストーリー性を用意して、納得してしまおうとする。人間の脳というのは、ストーリー理解と相性が良い。良くも悪くもストーリー解釈してしまう性質がある。
 だから私達は空想を楽しめるし、空想に縛られてしまう。

 時として人は、もっともらしい理屈や陰謀論に魅かれてしまう。
 だけど現実は偶然の折重なりで「ただ単にそうあるだけ」という非情なものばかり。
 空想と現実の間にギャップが存在し、それが私達を苦しめる。
 偶然の苦しみから逃れる術はなく、最後には認めるしかない。
 
「ライダーズ・オブ・ジャスティス」のキャラクター達は面白おかしく、そして皆が何かに欠けている。欠けている者同士で寄り添う必要があるのだ。
 不都合が見えないフリをしたって、しようがない。
 自分で自分の背中をさすれないから、誰かにさすってもらうしかない。本当に苦しいものは自分自身でさえ、気づけない場所にある。
 だからこの映画は「誰かを助ける物語」じゃない。「誰かに助けを求める。その一歩を踏み出す」物語なんだ。
 


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