見出し画像

家の中が片付かない、故に選んだ茶室。

茶室のような空間に身を置きたい。
そう言ったら、「無理でしょ。靴下を脱ぎっぱなしにする旦那がいて、小さな子ども達がいて」と友人には笑われ、保育士さんには「子育て中だから無理しないで。食べること、育つことを優先して・・・」と温かくたしなめられた。

私は、モノがたくさんあるとバグってしまう。靴下、絵本、あやとり、ぬいぐるみ。そんなものが落ちている玄関先でイライラして、靴を脱ぐなり「もう!」と乱暴に片付け始める毎日だ。味わいのある(つまり、古い戦前の)小さい貸家の中で自分のスペースといえば約3畳のDKに置かれた机、そう今この文章を書いている机と椅子のみ。寝る時だって1人ではない。そんな訳で私は「家の中が片付かないんです・・・茶室のような空間に身を置きたいんです」と、雑談の中で保育士さんに口走ってしまった。

けれど、友達と保育士さんのいう通り。子育て中の家の中が整然としている方が不自然。子どもたちの辞書には「片付ける」という言葉はない。大袈裟ではなく、未就学児が2人いて10分も経てば台風が通り過ぎた後のように散らかった状態になる。むしろ、子供達が散らかさない(遊べない)方が心配すべき事態だ。

私には、私の好きなように部屋を片付けられた一人暮らし時代のワンルームを懐かしむしか出来ないのだろうか。すっきりした空間に、花と風が揺れる空間に身を置きたい・・・そうだ、茶室だ。私が茶室に出かけていけば良いんだ!お月謝はかかる。けれども、自律神経の乱れがそれで整うなら・・・と、切実に私は茶室を求めていた。

茶室は、非日常空間だ。
6畳の間に花と軸が置かれた床。湯気を立てる釜。そこに集う一人一人の佇まいが空間を作り上げる。道具を落としたり、帛紗を忘れたりとハプニングは尽きない。上手くできた、出来なかったという雑念もわんさかあるけれど、お茶を点てるという行為は今ここへの集中を呼び覚ます。始まりと終わりはいつもフラット。時を超えて無駄なものが削ぎ落とされたお手前の作法は無駄がなく気持ちがよい。
茶室に通い出して、私の自律神経は確かに落ち着きを取り戻したと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?