見出し画像

林智子「そして、世界は泥である」

本展を体験する前は、そのタイトルから「泥々した」「黒々とした」空間を想像していた。足を踏み入れるのをためらうような。
だが、この展示は実際のところ美しかった。

最初の展示室では、グラスに詰められた深泥池の水と泥に迎えられた。そのグラスがなんともレトロで雰囲気が良い。
部屋には淡いピンクのオーガンジーの布が揺れる中、泥水と落ち葉をたたえる鉄桶が置かれている。グラスに詰められた小宇宙を、鉄桶で上から見せてもらったような。
水面には虹色の皮膜が貼っている。この皮膜、確かに実際の水面でも見たことがあるかも・・・微生物の働きでできていることを今回初めて知った。

隣の小部屋には、落ち葉が敷き詰められていた。水中の映像が窓のように光っている。クリオネのような微生物がゆらゆらと動いていて楽しい。
小部屋の中央には鉱石ラジオ。拳大の石の表面に針を当てると、中から音声が途切れ途切れに聞こえる。脈を探すように何度か針を鉱石に当て直す。しっかりと聴こえるポイントを見つけると嬉しい。鉱石の色も光も美しい。
時折隣の部屋から鹿の声が聴こえる。まるで池の隣の森から聞こえてくるようだ。こうして、見るだけではなく、触覚も聴覚も、そして記憶も体もその世界に引き込まれていく。

部屋を出て廊下を西に歩く。盆栽のような苔のオブジェからカエルの鳴き声がする。植物発電で演奏されているという。。。植物の生命活動を電気に変え、それを音楽に変える発想に脱帽。今ここで、植物が生きている実感。

廊下を曲がるとオーガンジーの布が揺れていた。その柔らかさの中で和鏡がきらめく。オリエンタルな、しかしどこにもない場所に来たような。

階段を降りると、20分のサウンドインスタレーションだ。暗闇の中に入っていくと音に包まれる。目が暗さに慣れるまでしばらく戸惑う。部屋の隅に座布団を見つけ腰を下ろす。
部屋の中央のみが丸く照らされ、和鏡がきらめく。
星の周りを回る惑星のように丸く弧を描く光。

うねるような音の渦・・・左の方から人の声が聞こえてくると認識できたのはほんの一瞬で、音のうねりはどんどん大きくなり、いつしか泥水の底から水面を見上げているような感覚になった。

あるいは、無意識から意識を見ているような。
私たちの意識が光を当てられるのはほんの少しで、残りの全ては無意識に包まれている。光が照らす場所に目を凝らすのではなく、暗闇に漂う。
そうして爆音の中に座っているとだんだん音が澄み、ふっと消えた。
ああ、今、水面に出たようだ。

展示室を出ると、手洗い場に虹があった。この虹はとても透明だった。

泥というより、世界のグラデーションを体験させてもらったように感じる。
林智子さんというアーティストは、天才だと思った。
6月9日まで、京都芸術センター。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?