シュタイナーによる瞑想の言葉(その19)

シュタイナーによると、鉱物の結晶とは生命の似姿です。何故なら、彼らは生きていないので。同様に、植物の姿は魂(アストラル体)の似姿であり、十二支に見られるような動物の姿は霊(自我)の似姿です。では、人間の姿とは?神の似姿です!何故なら、人間は神ではないので・・・私たちの中の「要素」が目指すべき次の姿とはどんなものでしょう?この詩によると、霊の「最後の」力づけとなっているので、ひょっとしたら、これが最後の形姿になるのかも知れません。自分の力で、姿形を持たない、「永遠の命」に与るのも悪くないかもですね。
 
Es lassen die Elemente
Gestaltend sich vom Geist durchdringen.
Empfangen mussten sie
Des Geistes letzten Kräftetrieb,
Das Menschenwesen einzukleiden
In Geistgestalt und Seelenleben.
自らを形成する要素たちは
霊によって貫かれた。
彼らは受け取らねばならなかったのだ
霊による最後の力づけを
霊的な形姿と魂的な生命で
人間存在を装わせるために。
(「詩と瞑想」より、私訳)

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