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新美南吉『ごんぎつね』を読む②

 前回は、物語のクライマックスであるごんが撃たれる場面について考えてみました。今回は、その前日の夜を描いた第5場面について考えます。
この場面は、命のやり取りほどの緊張感はないものの、ごんの運命が決定される重要な転換点となっています。

運命の転換点

 月の明るい晩、兵十と加助が並んで歩く後ろを、ごんは二人の影ぼうしを踏みながらついていきます。途中で加助は、ごんの届ける栗や松茸が神様の仕業だと兵十に告げます。それを聞いたごんは、
「おれが栗や松茸を持っていってやるのに、その俺にはお礼を言わないで、神様にお礼を言うんじゃあ、俺は引き合わないなあ。」
と考えました。
 償いの行為でなければならなかった贈り物が、兵十からの承認という代償を求める行為に変わってしまった。そう考えた翌日、ごんは兵十によって殺されます。つまり、代償を求めた時点で、ごんの運命は死へと転換したのです。
 もちろん、この日に至るまでに、ごんの心には兵十への一方的な愛が芽生えています。しかし、その心の変化にごんは気づいていません。むしろ、気づいていれば自分の行為に自制心が生まれ、こんな失敗は冒さなかったのかもしれません。ごんの無邪気さもまた、物語の悲しみを増幅させています。

償いと「引き合う」ものは何か

 「引き合う」という言葉に注目してみましょう。ごんは、何と何が引き合うと考えていたのでしょう。文脈からすれば、「ごんの償い」と「兵十からの感謝」が、ごんにとっての引き合う関係となります。神様の仕業にされては引き合いません。しかし、償いに対して返礼を求めることは禁止です。返礼を求めれば、償いは無効となります。また、相手から返礼が行われても、その時点で償いは無効となります。

 ごんにとって償いの行為と引き合うのは、「おっかあの死」であるはずです。ごんの勝手な思い込みで母親を死なせたと考えたことが、償いの起点になっているからです。
 一方、ごんが考えるとおりに、ごんのいたずらが母親の死を招いたとするならば、兵十にとっては、「ごんの死」と「おっかあの死」が引き合う関係となります。ここで重要なことは、兵十の理解ではなく、ごんの理解です。ごんがおっかあの死の因果関係をそう理解している以上、「おっかあの死」と「ごんの死」が引き合うのです。
 償いと「おっかあの死」が引き合い、「おっかあの死」と「ごんの死」が引き合うのであれば、償いと「ごんの死」が引き合う関係となります。
 ごんの心には償いとは異なる感情が芽生えていたにもかかわらず、翌日もまたごんは償いの行為を続けます。自分から「引き合う」ことを求めてしまったがゆえに、償いと引き合う自分の死を引き寄せてしまったのですね。

 ごんは独りぼっちの小ぎつねでした。話し相手は誰もいません。もし、ごんに対して「お前、そりゃ、愛だよ。愛!」と気づかせてくれる誰かがいたら、ごんは死なずに済んだのかもしれませんね。かなしみは「愛しみ」とも書きますから。

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