見出し画像

ぬくもりへの帰り道

最近ドラムレッスンで、あるバラード曲を練習している。バラードはごまかしが効かない分、テンポの早い曲より難しく感じる。

けれど、柔らかさや温かさ、ぬくもりという感情を一音ごとに表現できる楽しさもあり、ただ虚無になって正確にビートを刻む作業とは違った陶酔感を味わえる。

尊敬するジャズドラマーである先生に見本を叩いてもらった時、凄い迫力でありながらも一音一音の音が、涙が出そうな程魂に柔らかく優しく響き、先生が織りなす音の「情熱」の中にある

「ぬくもり」に触れた気がした。

この「ぬくもり」という感覚を感じたくて私は、これまで家族に反発したり、仕事でも何でも思い通りに現実を動かせるはずって力んで、

欠落感を原動力にしながら

躍起になってたんだなあと振り返る。

けれど 本当は

「ぬくもり」以外 何もいらなかった

欲しかったものは、

目に見える結果ではなくて、

優しく包み込まれるような 温かな「感覚」

母に、「あなたのことを愛してるよ」

と言われたかった。

ただ安心したくて、ほっとしたくて、

そのために褒められる自分になろうとして生きてきた。

自分では努力家だと信じて、何でも乗り越えられると思って頑張ってきたけれど、 

そういえば‥

心の中は空っぽだった。

以前教員をしていた頃、養護教諭の友人に、

「いつも表面はニコニコしてるロボットみたい。」

と言われた。確かに、心がなかったのかなあ

仕事は楽しかったけれど「親に愛されて来なかった自分」という、心の深い所にある重荷の感覚が自己肯定感を著しく下げていて、そんな哀れな自分をさとられまいと表面上「良い人」「しっかりした人」という仮面をつけてきた、けれど

そうなり切れないジレンマ。

この感情を、ある日卒業目前の生徒たちを目の前にして伝えたことがある。

「先生は、ほんとは子供の頃から引っ込み思案で、学校の先生になんて絶対なれないと思っていたし、ほんとは弱くてダメな人間だから、みんなにこの3年間で何を残せたのか、不安になる」

すると後で、ある生徒が寄ってきて、

「弱さをさらけ出してくれる先生の方が安心できるよ」

と言ってくれた。

その時、その彼からとてつもなく優しい「ぬくもり」を感じた。

そして、

卒業式にもらったクラスの生徒たちからの色紙は、私を励ますたくさんの温かい言葉で埋めつくされていた。

私が、ないないと探し求めていたぬくもりは、私が本当の自分をさらけ出すことで、生徒たちが惜しみなく差し出してくれた。


私がもらったその「ぬくもり」は、

過去の痛みも 苦しみも すべて

引き受けてくれた


誰かのためにと

無理に優しくして

自分の価値を確認しなくても

怒りとか悲しみを

いっぱい抱えてても いいと

ゆるしてくれた


私は「情熱」を信条として、

生徒と向き合って空回りしたことが

いっぱいあった


けれど、

ほとばしる情熱を

ぬくもりに変えていくことで

私たちの心は自由になり解放されて、

自然に愛溢れる場所へ還っていくと

生徒たちから教えてもらった


そんな思い出が

ドラムレッスン中によみがえった


もう 力を抜いて

スティックをゆっくりと振り下ろし

ありのままの魂の呼吸に合わせて

自分の中にある 弱さというぬくもりも

表現していこう


音楽は やっぱり 自分にとっては

人生そのものであり、

ぬくもりへの帰り道














この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?