御本拝読「黒後家蜘蛛の会」アイザック・アシモフ

絶妙ミステリー

 SF小説の大家・アイザック・アシモフの書いた短編ミステリー小説集「黒後家蜘蛛の会」(全5冊)は、とても自分の好みのミステリー小説シリーズ。昔はSFも好きだったから普通にアシモフ作品も読んでいたけれど、恥ずかしながらこれは大人になってから出会った。
 黒後家蜘蛛の会(ブラック・ウイドワーズ)とは、6人の知識人と1人の給仕からなる月1回のディナーをともに楽しむ会である。その会では6人のうち誰かがゲストを伴い、素晴らしいディナーを満喫した後で、ゲスト(もしくは6人のうちの誰か)が「悩み」を告白する。それは不可解な「謎」であることが多い。
 その「謎」を、メンバーが探偵役となってそれぞれ推理するのだが、毎回真相を言い当てるのは仕事は完ぺきで物静かな初老の紳士、給仕のヘンリーである。黒後家蜘蛛の会のメンバーは、弁護士、作家、学者、と各方面のプロフェッショナルなのだが、いつもヘンリーの鮮やかな推理に舌を巻く。
 本シリーズでは、殺人や重大な政治犯はほとんど出てこない。コージー・ミステリーに近い謎ばかりで、解けたところで「なぁんだ」で済む話も多い。立件しようにもとっくに時効な話だったり、犯人探しをしても意味がない話だったりする。それでも、ヘンリーによって謎が解かれた時、ゲストやメンバーの心がほんの少し救われる
 本書の面白さは複雑なトリックだったり壮大などんでん返しではなく、主に「謎」の語り手が語る話から全てを正しく組み立てるヘンリーの考察力にある。事件現場にいたわけでも、証拠を集めるでもない。完全な叙述ミステリー、安楽椅子探偵モノである。この絶妙な面白さは、やはりアシモフ博士の膨大な知識と論理の力でこそ構築されるものだ。
 

文に詰まった愛

 アシモフ博士、本当はSFよりもミステリーの方がお好きだったのでは?と言いたくなる。本シリーズには、終始、アシモフ博士のミステリーへの愛や人道的なあたたかさがあふれかえっているのだ。
 まず、黒後家蜘蛛の会のメンバー6人が各々それなりに裕福で、社会的な地位や名誉もある人物である。この6人、会の食事の前には必ず小競り合いをしている。それも、小学生の言い争いみたいなレベルのくだらない悪口で。舞台はアメリカだが、どことなくイギリスの皮肉っぽいそのやり取りは、本気で相手を貶めるというよりは気を許しているからこそできるじゃれ合いなのだ。
 地位の高い人が、プライベートの場で友人にだけ見せるリラックスした一面。それは微笑ましくもあり、時に自分自身を会話にカメオ出演させながら、微かに色んなものを皮肉る。その軽快でさらりとした雰囲気は、精密に組み立てられたSF小説とはまた違う味わいだ。
 そして、給仕という立場のヘンリーに対する6人の振る舞いがとても良い。本来であれば給仕とは「下の立場」にあたり、仕事の上では「主人」「ゲスト」と同等ではない。が、6人は心からヘンリーを敬愛しているし、けっして仲間はずれにもぞんざいに扱ったりしない
 よく使われる「ヘンリーは大切な給仕」という言葉の中には、単に会のディナーの支度や世話をしてくれる大切なスタッフ、という意味ではなく、「一緒に謎解きを楽しんでくれる仲間であり、誰より賢い先導者であり、我々の友人」という意味がある。
 ヘンリーもまた、そんな6人の好漢たちにいつも謙虚に、あたたかく接する。仕事が完璧なのはもちろん、自分からしゃしゃり出たりはしない。求められれば応えるスタンスだ。
 実は彼の正体や過去の一部は1巻の1話で少し明らかになるのだが、それもまた他のミステリーとは違うところだ。そして、その1話で、ヘンリーという人間の底に流れる冷徹な一面や底知れない薄暗さも伝わってくる。
 大げさに書かなくてもアシモフ博士がこの7人に愛情を注いでいることが良く分かる。そして、各々の謎が、起きている事象や結末に対して割と事実は単純だったり些細なことだったりするのがミステリーへの純粋な愛を感じてならない。

 あまた数あれど

 私は昔からミステリー小説全般が好きで、国内外問わずよく名前が挙がる人のものはとりあえず片っ端から読んでいる。多分、「小説」というくくりの中でも、青春や恋愛や家族や会社にあまり興味がない。よって、ミステリーばっかり読んでるということになるだけかもしれないが。
 が、結局いつもホームズやポアロ、マープル、本書に戻ってくる。結末はおろか、ホームズに関しては研究書まで読むくらいに読み込んでいるくせに。
 それは、ミステリー小説の中でもはっきりと自分の好き嫌いがあるから。唐突なセックスシーンやハーレム・逆ハーレム状態の主人公、不必要なまでに強調される残虐性や著者個人の政治的思想が反映されたもの。そういう作品だと、なんとか1冊は最後までは読んでも、シリーズ通しては読めないミステリーの仕組みや楽しみではなく、著者の好みや主張をミステリーを使って押し付けられるような気がするからだ。
 そして残念ながら、国内外を問わず、特に現代のミステリー小説にはそういうものが多い気がする。読み進めるうちに、どうしても主人公の顔が著者の顔に思えてしまう。
 本書は、そういった「著者の自我」が一切感じられない。代わりにミステリーへの「著者の愛」がある。各話ごとにあとがきがあるのだが、それがとてもチャーミングでかわいらしい。照れくささを隠す物言いの中でも、「書くのが楽しい」「ミステリーが好き」という気持ちが丸見えだ。
 アシモフ博士の遺したミステリー小説は数は多くない(といっても、このシリーズだけでも短編60話以上あるのだけど)が、それだけに御自分の「好き!」がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。数多いミステリー小説の中でも、特に煌めくシリーズの一つであることは間違いない。

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