御本拝読「雀の手帖」幸田文

時代が変わっても

 文豪・幸田露伴の次女で作家の幸田文さんの随筆集。エッセイですね。書かれたのは昭和三十四年一月から五月までの、百日間。ちょうどこの時期から始まってますので選んでみました。この本も学生時代からの愛読書で、中身が分かっていて何度読んでも面白い。
 昭和三十四年といえば、まだ戦後の色が少し残っていたかもしれません。日本も文さんご自身も、身辺のバタバタが少し落ち着いたころだったのでしょうか。主にお家の中での家事や生活についての短い随筆たち。
 きっと、家具・家電・生活スタイルは今と違います。だけど、なぜか共感できることがたくさん。特に、家事を担う人担っていた人には。人が生活していくことに伴って起こることや感じることは、どんな時代でもあまり変わらないのかもしれません。

江戸っ子で女性で

 私は、昔から自分が好きになった文筆家や俳優さんやアーティストが江戸っ子であることが多いです。あまり県民性などは信じていない性分なのですが、これに関しては共通点が多い。ややせっかちで突っ走りがち、さっぱりしていて感性の鋭い人情家。その江戸っ子気質が、幸田文さんにも流れています。
 感情や意見がきっぱりしていて、時流や他者に合わせたりおもねったりしない。それは、自分の心や手触りで感じたものを、自分の頭で考えるから。
 こんなことを言うとジェンダーフリーに反するかもしれませんが、女性であるからこそ巻き込まれる人間関係があります。それは、現代でも。良くも悪くも「女だから」軽んじてなめてかかられたり、じっとりと頼りにされてしまったり。文さんも、そういうものに絡まれることがあります。
 しかし、文さんは江戸っ子だけど、しなやかな大人の女性。けんかになることなく表では受け流し、内では傷ついたり諦めたり。同じことがあっても、男性や若い女性ではこうして昇華はできなかったかもしれません。
 江戸っ子の気風の良さと、女性らしい柔らかさ。その二つが、唯一無二の魅力となって文章に溢れています。

文章を書く難しさ

 文章を書くことの難しさの一つは、「だらだらと冗長になりがち」ではないでしょうか。私も、こうして趣味の文章を好きに書いている時でも、仕事で報告書やマニュアルを作成している時でも、自分で読み返して思います。「長い割に内容スッカスカだな」と。
 まず、一文を短くまとめるって結構難しい。楽なので、どうしても助詞や連体詞で繋げてしまいがち。次に、段落で分ける(最近ほとんど段落のない文章も多いですが)のも切り方が難しい。そして、全体通してすんなり読めるように起承転結の筋を通して配置するのは至難の業といっていい。
 この「雀の手帖」のすごさは、とにかく短いのにきちんと分かりやすい文章が百日分連続しているという事実。私の手元にあるのは新潮文庫版ですが、見開き1ページ内にすべて一日分が収まっている。これは、かなりすごいことだと思います。
 長くしようと思えば、文章はどこまでも長くできます。大学時代、字数制限のあるレポートや卒論で、指定された分量の上限の二倍くらいの量を書いてドヤ顔してる人がいました。参考文献や持論をサンドイッチのように重ねまくって。それは努力家でも優秀なのでもなく、単に文章を書くのが下手なだけです。
 短い言葉や文章で物事を適切に表現することこそが、真価。文さんの類まれな能力が、この一冊に発揮されています。だから、何度読んでも面白い。読み手が理解しやすいように、書き手がかなり丁寧に文章を作ってくれているということです。

まとめ

 文さんの語り口も、今で言えば「辛口コメンテーター」に思えるかもしれません。しかし、ヒトやモノを単に批判しているだけでなく、その厳しさは自分自身にも等しく向けられているのです。この塩梅が、文さんがけっして順風満帆苦労知らずで生活してきたわけなく、酸いも甘いも嚙み分けた本当の大人であることの証。
 今、こういう大人って少ないかも。年齢を重ねても、自己中心的で幼児と変わらない精神構造の中年老年の方、多く見かけますので。そして、自分も中年にさしかかり、そうはなっていないかと自戒を込めてこの本を読みなおすことがあります。
 厳しい顔で凛と立っているのに、たまにおっちょこちょいなこともやって、照れ笑いする文さんのかわいらしさ。精神的な潔癖さや自律の精神と、好奇心旺盛で人情に弱い人。読んだ回数分、文さんのことが好きになる一冊。

 



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?