御本拝読・「寒椿ゆれる」近藤史恵

熱の低い時代小説

 隣のお宅の庭の椿がきれいだったので、思い出した本。近藤史恵さんはもともと大好きで、他にも好きな本はたくさんある。「ときどき旅に出るカフェ」はまた別の機会に書きたい。ビストロ、パ・マルの「ビストロ」シリーズが一番有名でしょうか。
 最近はあまり書いておられないですし著作の中でも時代小説は多くないのですが、近藤さんの落ち着いた時代小説はとても素敵。いわゆるチャンバラのシーンやバタバタ捕り物シーンもなくはないけど、あっさりめ。全体を通してとても静かに物語が展開していく。BGMなしで、登場人物たちを少し遠めにカメラで長回しで映しているような。
 通勤時のお供によく色んな方の時代小説を読みますが、老若男女問わず、やたら熱やボルテージが高すぎる時代小説が割とある。会話文のほとんどに「!」がついてるとか、チャンバラシーンが長い&多い上にドラマの脚本みたいに詳細とか。それも好きな人は好きだろうし、良し悪しじゃないんですが。
 ただ、実際の人間って、そんなに日常会話で感情的に話さない。少なくとも私や私の周りは。「!」や激しい戦闘なしで、静かに掌の中で微かに感じられるような感情やぬくもりを伝えてくれるのが、近藤さんの時代小説。

これだけで読める

 こちらは「猿若町捕物帳」シリーズの中の一冊ですが、この一冊だけでも十分読めます。もちろん、登場人物たちの詳しい来し方はシリーズを通して読んでいた方が分かりやすいですが、この一冊の中でもさらりと説明はされるので大丈夫。実はこの巻の主人公は、この巻でのみ主要人物となる人たちなので。
 主人公の同心・千蔭、千蔭を慕う瓜二つの美貌を持つ花魁の梅が枝と役者の巴之丞。語り手の八十吉はあくまでナレーターの役に徹していますが、このシリーズの主要人物は総じて容姿と能力に恵まれ、仕事でも高めの地位にいます。それに起因する事件も起こり、またそれを使って解決することもあるのですが、基本的にそれはこのシリーズの見どころや軸ではありません
 このシリーズは、他の巻も、一冊で一つのテーマについて書ききられています。特に、不運や不幸によって社会や地域から零れ落ちてしまった人の孤独や哀しみ哀れな人が必ず救われるわけではないやるせなさ、それでも日々は続いていく無常さ。後味のビターなお話が多いですが、この巻だけは、苦くてもほんのり甘い結末が待っています。
 実際、時代小説のアンソロジーにこの巻から一話だけ収録されていることもあるので、前後の巻を読んでいなくても一つの短編・中編として読みごたえがあります。
 

好きなものは強い

 近藤さんの小説と言えば、料理。そして、旅、歌舞伎、動物、スポーツと、一つのテーマについてぐぐっと深いところの小説を多く書かれています。どれも読んで感じるのは、「この人本当に○○のことが好きなんだな」ということ。対象への愛があるから、文章そのものに深みや説得力が増します
 このシリーズも、江戸の街の娯楽や料理が舞台装置としてたくさん出てきます。それも、冗長に参考文献や資料の文言を並べ立てたのではなく、近藤さんの解釈と文章ですっきり描写されるので分かりやすい
 本書での主要人物の一人・おろく。彼女は嫁き遅れの武家の子女ですが、よくあるお転婆や頑固といった性格の問題ではありません。重い過去を背負い、無理に明るく振舞うわけでも悲しがるわけでもなく、物事の全てを数字に変換していく変わり者として生きています。それが、彼女の繊細な心を守っている。
 そのことが周囲を困惑させ、人を遠ざけているのですが、おろくはそれに動揺したり周囲に合わせようとしたりはしません。それでも卑屈にもならず、淡々とどこか凛とした彼女の生き方は、美しいものです。数字が、彼女の強い支えになっています。

 まとめ

 私がなぜこの巻を推すかというと、近藤さんの他の著作や同シリーズの他の巻に比べても、この本は抜群に語り手や著者の透明度が高いからです。登場人物たちの細やかな心の動きが、どこまでもフラットで時に冷たくも思えるような筆致で描かれる。それが、物語終盤への大きなカタルシスとなり、冴えた冬にしか感じられない愛日のようにじんと沁みます
 時代小説にはあまりなじみがない人にこそ、お薦めしたい冬の一冊。
 

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