御本拝読「うさぎ玉ほろほろ」西條奈加

「南星屋」の話

 ようやくゆっくり読めました、西條奈加さんの「南星屋」シリーズ最新刊。西條さんの時代小説が秀逸なのはもう周知の事実ですが、私はこの「南星屋」シリーズが今お気に入りです。
 主人公・治兵衛の孫娘・お君の縁談から始まり、治兵衛の出生の秘密へとつながる(そして、事件が実はその秘密から始まってお君の縁談の結末へとつながる)「まるまるの毬」。還暦を過ぎた治兵衛と娘母子の「南星屋」に、正式に新しい職人が加わるまでを描く「亥子ころころ」。今回の「うさぎ玉ほろほろ」は、その次の話です。
 もちろん、前作2作も素敵だったのですが、私は今回の「うさぎ玉ほろほろ」が一番好きでお薦めしたい。前作は「南星屋」の内情や身内の話だったため、展開や登場人物が壮大。今作も物語が進むと大物(というか機関?)は登場しますし、治兵衛たちが巻き込まれはします。が、主な焦点は、主人公たちや市井の人々の人生や生活西條さんの時代小説の醍醐味が詰まっていました。

甘苦い世の人情

 正しいと信じたことが、必ずしも人を救えるわけではない。真摯な気持ちが、必ず相手に伝わって報われるわけではない。西條さんの時代小説が素晴らしいのは、現実世界でもおこりうるような苦さがきちんと描かれているところ。そういう苦さを、江戸の和菓子の甘さでコーティングしたようなのが、「南星屋」シリーズ。
 謎解きや殺人事件推理ものではないものの、「人が人を思う」故に起こるすれ違いや誤解が、各話のテーマになります。そこにしみじみとした味わいがあり、江戸時代ではないと描けなかった情景になります。
 電子機器や電動機械がないからこそ、どこか静かでゆったりと流れる時間。その中で、人々が働き、暮らし、思い合う情景。もちろん創作ではあるのですが、読むとホッとします。それが現代が舞台だと身近過ぎて窮屈かもしれないし、こういう展開にならないかもしれない。

夫婦・家族の妙

 前々作でも治兵衛の娘・お永と前夫との関係には触れられていました。そして前作では、職人・雲平との関係もほのかに芽生えた様子。今作も、男女をめぐるお永の心情に深く触れる話があります。
 正直、自分自身が一番感情移入してしまっている登場人物が、お永。お君の若さや明るさ、治兵衛の職人肌と出自、五郎のキャラクターの強さにかすんでしまいそうですが、実は一番人間くさくてリアリティがある人物像だと思います。
 ずるずると前夫との関係をつづけてしまう気持ちも、傍にいてくれて頼りがいがある雲平に惹かれてしまう気持ちも、自分の心に白黒つけられずにぐずぐずしてしまう気持ちも、本当によく分かる。この心の襞をあんなに丁寧に正確に描ける西條さんって人生何周されたんだろうと思いました。何を隠そう、私自身がこういう気持ちや状況、経験があるので……。夫婦って、白黒即決できないから難しいし根深い。
 多くは、その夫婦から始まる家族のかたち。それすらも、実は定かなものはないのかもしれません。少なくとも、今作に出てくるおかやも、お永の娘・お君も、血の繋がりや形としての「家族」にはあまり頓着していない様子。
 子供にとっての「家族」「家庭」って、要は「自分の好きな人がいて、安心して暮らせるところ」でしかないのかもしれません。でも、その場所を作るのが難しい。それが、周りの大人の責任。
 「まるまるの毬」から、ゆっくりとではありますがお君が精神的に大きく成長しています。辛い破談を経験し、他の家族の在り方に触れ、母や祖父の思いを感じ、夫婦も家族も単純なものではないとよく分かっている。でも、まだおきゃんな娘なところも夢見がちな子供っぽいところもあり。お君の問や行動が、このシリーズのスパイスとなって効いてきます。

和菓子の不思議

 実は私、学生時代からフリーター初期、島根県松江市の和菓子屋でアルバイトをしておりました。だからというか、今も和菓子は好きだしつい気になってしまいます。和菓子がテーマの本は見つけたら片っ端から読んでしまう。
 洋菓子に、家庭のオーブンで焼くクッキーと宮廷で供されるような高級菓子があるように、和菓子にも茶屋で出される団子と高価な御殿菓子があります。ただ、もともと菓子の材料が豊富と言えなかった日本で発展してきた和菓子は、庶民の口に入るものと殿様が食す甘味に洋菓子ほどの差はないのではないかと個人的には感じます。
 「南星屋」では、治兵衛が旅して歩いた日本全国津々浦々の菓子を日替わりで楽しめます。こういうイレギュラーな商売の仕方も、ただ純粋に「おいしいものを江戸の人にたくさん食べてほしい」という治兵衛の純粋な気持ち。
 経験はしていませんが、自宅でいつでも手軽に甘味が食べられるわけではない時代に「南星屋」のようなお店の和菓子を食べられることは、とてもホッとするひと時だったと思います。もちろん菓子にもよりますが、和菓子って洋菓子よりもどこか素朴で甘さや強さも控えめで、あまり主張してこない。心の小さなともしびのように、不思議な光で照らしてくれる存在なのかもしれません。


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