御本拝読「さらに・大人問題」五味太郎

表記まで自由だ

 まず、約四半世紀前に五味さんが書かれた「大人問題」という本がありまして、こちらはその続編です。1999年刊、なのにまったく古さを感じず、むしろ今こそ必要なのでは?という五味さんの意見がいっぱい。
 そもそもこの本、検索かけたりデータつけたりするときは「大人問題」って打つんですけど、現物の表紙等では「大人」と「問題」のあいだに「は・が・の」も助詞が入っていて、五味さんの自由さが炸裂。
 大人は問題、大人が問題、大人の問題。社会や教育の問題は、実は「おかしい、おかしい」と唱える大人たち自身が問題だった……という本。五味さんの自由な発想や論理で、問題を読み解いていきます。

そこまで言って大丈夫かい

 四半世紀前って、出版に関するコンプライアンスこんなに緩かったんだ……というのは冗談として、とりあえず刺激的です。私は面白いなあと思ってケラケラ笑って読んでましたが、これは眉を顰める方も多いかも。特に、繊細な方や教育関係の方、宗教に熱心な方にはお薦めしません。読んでも、傷つくだけです。
 さすがに個人名や企業名は出しておられないものの、批判されているヒトやコトは割とピンときやすいです。今読んでも、「これ、五味さん、当時、脅迫とかされなかったろうか」と思うほど。
 今流行っているみたいなやたらと人格や行動を否定・非難する芸のない攻撃ではなく、あくまで五味さんのインテリジェンスとユーモアで社会システムや教育現場に疑問を呈している。それが、痛快でスマッシュが決まったみたいに気持ちいい
 五味さんは画家、絵本作家という立場の人ですが、コメンテーターやコラムニストよりも深く鋭く切り込み、芸人さんやタレントさんよりも軽やかに面白おかしく時世を斬ります。

学校と大人が嫌いだった私へ

 さて、私は小学校以前幼稚園から学校が嫌いでした。ひどくいじめられたしそれで転校までしましたが、住民票や居住を変更して色んな手続きや不愉快なチェックを受けてまで行かなければいけないことがずっと苦痛でした。「学校を休むのは悪」という教師の両親の元、体と心を壊して今に至るまでひびくダメージを負いながら、小中高とほぼ皆勤。ばかみたい。
 その時から、大人も嫌いでした。特に、教員免許を持っていたり子供や老人や障碍者相手のボランティアに精を出す大人が大嫌い。同級生も嫌いだけど。
 だけど、その時を必死で駆け抜けて生きる子ども~青年時代、私はこの本に出会うことはなく。幼児期に五味さんの絵本や読本は好んで読んでいましたが、この本にようやく出会ったのは両親と絶縁した30歳を過ぎてから。
 頭が悪く自分の意見を持てない凡人にありがちですが、「私の言いたいことをよく言ってくれた!」と思いました。そして、それは多分、読んだ人のほとんどが思うことでありました。
 ただ、あの辛かった学童期・ティーン期に、こうやって「俺は」こう思うよ」と暴力的なほど鮮烈に大人の問題を斬って捨ててくれる本に会えていたらと少し後悔しています。

なにをもって大人か

 自分も「大人」と言われる歳になり、甥や友達の子をかわいがり、仕事で子供と関われば「保護者・管理者」の立場になるようになりました。しかし、自分が大人かと言われるとだいぶ疑問です。
 一人暮らし歴も長いし結婚離婚も経験し、あっぷあっぷしながらでもなんとか一人で生きています。公共料金や税金の支払い、引っ越す時や各種証明や契約の諸々も、手引きを読んでやってきました。けど、それって多分ただの経験の多さがあるからできるだけで、大人だからできるわけじゃない。そんなことは、大人の証明にはならないのです。
 大人と呼ばれているけど中身は大人でない人たちが、社会のルールを作る。その上、それは大人のために都合がいいルールだから、おかしなことになる。この本で書かれているのは、そういうことかもしれません。

まとめ

 私がこの本をどういう時に読むかというと、自分の判断に迷いがある時です。五味さんの、迷いや媚のない文章に、心に猪木のビンタばりの喝を入れてもらうのです。それぐらい、はっきりと鮮烈な本。
 あと、たんにむしゃくしゃしてる時にスッキリしたくて読むことも多いです。心のミット打ちに。
 

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