御本拝読「服と賢一」滝藤賢一

この自由な風を


 タレント本?写真集?否、滝藤賢一と服の本である。ただただ、俳優・滝藤賢一氏の一年間の私服を街中でスナップして、一言メモと服のブランドを併記しただけの、自由な本。
 多忙につき、最近あまり小説や学術書が読めない。頭に入ってこないのだ、疲れていて。脳が疲れていると、文章を理解することを拒否しだす。通勤中にようやくエッセイなどをとぼとぼ読むくらい。そんな毎日で、食後や寝る前にぱっと開いて少し読み進めて楽しんでいるのが、本書である。
 ファッションの本は性質上フルカラー印刷であることが多いが、ハウツー本やスタイリング本だと、お値段相応の薄さになる。厚みも中身も。仕方がない、フルカラー印刷は、紙から高くなるのだ(一時期印刷会社に勤めていた)
 と、いうのに、本書は本全体が分厚い上に1ページの情報量が多い。それも、「このアイテムにはこれを合わせるのがベター」とか「このブランドのこのアイテムは必須」という話は一切ない
 滝藤氏の、「俺はこれが好き!」「俺はこう合わす!」「このアイテムいいよね!」だけがぎゅっと詰まっている。その「服が好き」が、とても自由で清々しい。だから、読んでいて気持ちがいいのだ。

魚心あれば水心

 さて、私は骨格診断やパーソナルカラー診断も好意的に見ている。自分でもプロ診断にお金出して行くぐらいである。「あなたは○○だから、これは着ちゃだめ!」ということではなく、「特にこだわりがなければ、こっちの方が似合う」「これは顔周りにはイマイチだけど、ボトムスならOK」など、「あまり周りに変に思われたくない」「おしゃれは好きだけど自信がない」人のための味方感がある。
 が、滝藤賢一は、そういうのを全てすっ飛ばしているなんでも似合うのだ。それも、パリコレモデル的なポテンシャル(いや、もちろん、滝藤氏はスタイルがいいし体も素敵に鍛えていらっしゃる)というより、「服が好き」という気持ちが服にちゃんと伝わっていて、服の方が喜んで滝藤氏に寄り添っているような似合い方。
 各コーディネートの一言コラムに溢れる、その服たちへの愛。それだけ愛されれば、服の方だって張り切るだろう。普通なら突飛な柄×柄も、服の方が滝藤氏に着られたがっているのだから違和感がない。まさに、相思相愛の「服と賢一」なのだ。
 中年以降のスタイル維持は、男性も難しいと思う。私自身が中年を迎えてじわじわと痩せにくくなったし、体力の低下をひしひしと感じるようになった。これは、人体の老いという仕組みで、抗いようがない。
 それでも、それを緩やかにしたり老いたなりに良い状態でキープしたりするのは、個人の努力に他ならない。もちろん、俳優活動のためでもあるのだろうが、滝藤氏の選ぶ服たちは、割と細身でないと格好がつかないものが多い。
 服のためだけではないといえ、ヒトの体の方がそうやって服に寄り添う。そこに、ストイックで静かだけどかなり強固な愛を感じた。

絶妙な色彩感覚

 奇抜なファッションを見て「変!」と思う時の原因は、「色」が問題なことが多いと思う。基本的にはどの色も全てきれいだと思うし、どれをどう合わせようが禁忌はない
 が、やはり、「その色の組み合わせは違和感が……」というものは、かなり着る人を選ぶ。その違和感を帳消しにする美貌かスタイルがないと厳しい。か、そういうキャラクターとして成立するアイデンティティがあるかだ。
 私は滝藤氏の出演された映画やドラマを網羅しているわけでも、演技論をどうこう言える立場ではない。が、俳優としての滝藤氏は、「どの作品でも同じようなキャラクター」「いつも同じ雰囲気の演技」の人ではないと思う。求められる役を、きちんと作品に合わせて演じてくれる、素晴らしい俳優さんだ。作品ごとに、不要なアイデンティティは上手に消している。つまり、外見やキャラクターの頭抜け度は、芸能人の中でもトップではない。
 その滝藤氏がどんなに個性的なデザインも柄も似合わせている秘密は、色選びの絶妙さだ。特に、レオパードやペイズリーといった一見難しい柄を、ブラウンやグレーのように便利な中間色として使っている。だから、柄がけんかしない。
 たとえ柄と柄を合わせたり突飛なデザインだったりしても、色のトーンや明るさがそろっていればうるさくならない。また、柄の一部の色を他のアイテムとリンクさせたり、靴や小物で色数のバランスを抑えたり、これはファッションだけの話ではなくて絵を描く時に考えるようなことも自然にこなしている
 私は、滝藤氏のこの色彩センスがとても好きだ。好きだから、適当にどのページを開いても見ると心が落ち着くし、画集のように感じる。
 素晴らしい色彩センスは、やはり長年たくさん服を見て着てきたからだろう。愛は、センスも磨くのだ
 


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