御本拝読・小川洋子

私の心の月

  小さい頃の絵本や児童文学を除いて、私は大人になるまであまり存命の作家に興味が持てなかった。好き嫌いではなく、特にティーンから大学生時代は学校の図書館で日本近代文学全集やいわゆる文豪と呼ばれる人たちの全集を古い順に片っ端から読んでいたから、現代の作家までは間に合わなかっただけである。そんな私が初めて好きになった作家が、小川洋子だった。
 ちょうど本屋大賞が設立されて「博士の愛した数式」が大賞を受賞した頃だった。それももちろん読んだし好きだが、そこから遡って過去の作品を読んでいくほど惹かれた。
 それ以降十何年、現実世界で疲れ切ったり何かトラブルに巻き込まれて出口が見えなくなったとき、私はその度に小川洋子の作品に逃げ込む。作品は、静かにほのかな光で立ち止まった私を照らす。どんな暗い夜でも、小川洋子という月がある限り、私は大丈夫だと思えてくる。
 

変わらぬ長編の世界観

 小川洋子の作品の特徴、その美しいファンタジーの世界観は、長編だとたっぷり味わえる。完全な悪人や悪役はいない。完全な正義もない。ただ、自分の信じる美しさを守っている人たちがいるだけ。
 しかし、常識という残酷さが、美しい人たちに降りかかる。小川作品の登場人物たちは、現実世界で安楽に生きてはいけない。それこそ瓶に守られた標本のような存在なのだ。
 美しく、優しく、静か。そして、簡潔で正しい日本語。しかし、話が進むにつれ、それは同じだけ大きな哀しみ、理不尽さ、悲劇へとなり替わる。美しいからこそ、怖さや悲しさが冬の空のように研ぎ澄まされて読者の心に突き刺さる
 小川作品のキーの一つは、子どもだろう。子どもを単なる純粋で元気で無垢な存在ではなく、少し変わった美しさの担い手として描く作家は多くないと思う。小川作品の美しさを、各物語の子どもたちは淡々と担っている。
 私の心に残っている長編は、「ことり」だ。主人公(と呼んでよいだろうか)が言葉を発さない分、周りの人間の言動や思いが、ストーリーを動かしていく。タイトルに込められた意味や、物語序盤~中盤の描写を、読み進めながら考えてしまう。読み終わってからも、時折この物語を思い出してはふと寂しい気持ちになる。
 

綺羅星の短編たち

 志賀直哉の編でも書いたが、私はやはりこの作家も短編の方が好きだ。短編では、長編に比べてややファンタジーさが薄れて、現実世界のその辺の街角や路地裏で起きていそうな身近さがある。
 それでも、小川作品のきらめきは長編とまったく変わらない。むしろ、ページ数が限られている分、ぎゅっと濃縮されたような濃さがある。
 長編の場合はまずその舞台となる世界や島へ旅立つ気持ちから始まるが、短編の場合はいつもの角を曲がったら違う次元に繋がっていたような不思議な近さがある。一人で世界の隙間に迷子になって入り込んでしまうのだ。ひとしきりウロウロして、不安になったころにすぐに帰ってこられるのが、短編の良さ。
 「薬指の標本」「人質の朗読会」等、有名な中・短編集も好きなのだが、私は「海」という一冊がとても好きだ。薄い文庫本だが、一ページ一ページにとても尊く美しい色が塗られているような本。
表題になっている「海」という作品は、小川文学のエッセンスが詰まった一編ではないかと思う。私たちが普段とらえている「普通」、「普通でない」とは何なのかが、分からなくなる。そこに静かな心地よさを感じた。
 

エッセイのやわらかさ

 小川洋子ほど不思議なバランスで小説もエッセイも風味が変わらない作家はいないのではないか。良い意味で、小説がエッセイであっても成立するし、エッセイも小説として成立しそうなのだ。
 小川洋子の目から見た世界は、少し騒がしく、温かく、美しいものにあふれている。その目が愛でるものは、どこまでも尊い。手芸であれ、愛犬であれ、ハダカデバネズミであれ、自分の息子たちであれ、工場であれ、小川洋子の愛するものたちはみな一様に彼女にとって命や世界や美という全てが詰まった結晶そのもの。その語り口に含まれた愛情に触れるたび、ほっとする。
 エッセイの方は、文章が小説よりも少しやわらかに感じる。ストーリーや世界観のない、素の小川洋子がすいすいと泳いでいるのを、読者は遠い水底から眺めている。その姿が作る波紋を「ああ、きれいだなあ」とぼんやり見つめているだけ。突然下世話な現実や下品な振る舞いで頬を引っぱたかれない、という安心感を感じながら。
 個人的なおすすめは、「とにかく散歩いたしましょう」
 

まとめ

 文学とは、小説とは、言葉や字を知っている・本が好きなだけでは成立しない。数学や工場や生物、言語学や他国の歴史や文化。文学の外でたくさんの「好き」を集め歩いた脚だからこそ、書けるものなのだ。
 小川洋子の作品は、そんな色んな「好き」のかけらを上手に組んで織られた美しい世界。小川洋子の小説やエッセイが人気があるかぎり、この国はまだ大丈夫だと思うのだ。何がどう大丈夫か、上手には言えないのだけれど。美しい世界や言葉を愛でている人が多いということは、きっとまだ大丈夫だと、儚い結晶にも似た願いを積み上げる。


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