「記録すること」

就職活動中の身であるのに、どうしても本が読みたくなってしまう。
活字が読みたいのかと思ってTwitter、いやXを無限にスクロールしてみたりしたが、なんだが心が重くなるからやめた。でもなにか読みたい。
その時ふと脳裏に過ったのが、

三浦しをん作『舟を編む』

だった。ちょうど今NHKBSプレミアムドラマとして放送されている。たまたま家族が録画していて見ていたのだが、これが非常に面白い。
せっかくだから原作を読もうと思い、BOOK・OFFへ向かった。
「三浦しをん」の棚を見ても、『舟を編む』が見当たらない。店内をウロウロして、よく見たら「話題の本コーナー」に置かれていた。ドラマが放送しているんだからそりゃそうか、と思った。話題の本だから高額買取中で少し高かったが、気にせず買った。
そういえば買ったのは木曜日で、次の日にはもう気づいたら読み切ってしまっていた。就活のことを何もしていない。
まぁいいか。

ドラマも毎回「いいなぁ」と思いながら見ていたが、原作も「いいなぁ」と思った。
この「いいなぁ」をうまく言語化できない自分に腹が立つが、私なんかが言語化しなくてもこの物語に触れたたくさんの人々がその素晴らしさを語ってくれるはずだ。
とはいえこの名作を「いいなぁ」で終わらすのは作者に対して失礼だ。
拙い言葉だが思ったことを書いてみようと思う。


先にドラマを見ているためか、どうしてもドラマと原作の違いという点が気になってしまった。どう考えても原作からドラマに決まっているんだけど。ドラマはファッション雑誌から異動してきた岸辺さんの視点から物語が進んでいくが、原作の方は荒木さん、馬締さん、西岡さんと辞書編集部員それぞれの目線で「辞書」と「辞書作り」について語られていく。
ドラマは岸辺さんが異動してきたところから始まるが、原作では荒木さんが定年退職に伴い辞書作りの後継者=馬締さんを見つけるところから始まる。荒木さんがなぜ辞書に取り憑かれるようになったのかや馬締さんの馴れ初め話、西岡さんの苦悩など、ドラマではメインで語られていない部分まで盛りだくさんだった。本来は原作からドラマのはずなのに、ドラマから原作になってしまったせいで、なんだかスピンオフや裏話を聞けた気分だ。

私が感動したのは、ドラマがどれだけ原作をリスペクトし、それを新たな物語として紡ぎ出しているか、ということだ。
今年1月、漫画原作の実写化ドラマの制作に関して、非常に痛ましい事件が起きてしまった。そのドラマをリアルタイムで見ていたわけではなかったが、母に勧められ遅ればせながらHuluで見始めたところだったため、言葉にならないショックを受けた。また、今回の件で問題になったのは著作権のうち、著作者に帰属する同一性保持権だ。著作物は著作者の意に反した改変されないという権利だが、それが侵されてしまっていた。ちょうど私がゼミで選んでいたのも同一性保持権だった。ゼミで扱っていたのはゲームソフトの改変における同一性保持権侵害の可否という既に判例があるものだったが、同じ権利に関することであることに変わりはない。なんでこんなことが起きてしまったんだろう、何か自分にできることはないかと私の就活軸のひとつにもなった。
そういうことで、私は「原作ものを実写化する」ということに関して、とてもは敏感になっていた。原作があるものを別のメディアにするというのはとても難しいことだ。小説も漫画もアニメもドラマも映画も、全て表現方法が異なる。なかなか全てが成功した作品というのは少ないだろう。

だが、NHKはその不安を払拭し、原作とはまた違った魅力のある作品を作り出した。
ドラマ版『舟を編む』では、上記の通り岸辺みどりの視点から物語が進む。その中で、今までの辞書編集部の歩みがだんだんと語られていくのだ。

「右」をどう表現するか
「西行」の語釈をどうするか
馬締さんの赤鉛筆のこと
西岡さんがマル秘ファイルを作った経緯
「大渡海」の刊行危機
などなど。

原作にあるエピソードを別の場所で使い、また新たな視点から物語を紡ぎ出す。
小説とドラマでは、描き出せる尺が異なる。ドラマの方が短い場合が多く、制限も多い気がする。だからこそ、どこでどのようにエピソードを使うのかは脚本家の方の手に委ねられる。それが今作はものすごく自然で、ものすごく面白い。
これは脚本家の方の、原作者へのリスペクトがあるからだと思う。原作者がどのような思いを込めてこの作品を生み出したのか、それをどうしたら一番視聴者に伝えられるのか、きっとたくさん考えて、たくさん書いてドラマが生まれている。それに加え、NHKの制作陣もきっとたくさん考えて、たくさん色んな人に話を聞いて、たくさん話し合って、ドラマ制作にあたっているのだろう。さらにキャストの方々も、原作から感じられるキャラクターそれぞれの個性を自分の中に落とし込んで、本当に「玄武書房 辞書編集部」が実在するかのように、そしてそこで本当に「大渡海」を刊行するために働いているかのように、演じられている。一人一人が真摯に自分の仕事をして生まれたモノはとても心に来るものがある。自分もそうなりたいと心が熱くなる。ドキドキする。

辞書は言葉を残すものだという。
言葉はどんどん生まれ、使われ、消えていく。その足跡を記録するのが辞書。
私は昔から「記録する」「残す」ということにとても魅力を感じてきたように思う。幼少期に友達からもらった手紙とか、小学生の時の教科書とか、中学から高校まで部活で使った楽譜とか、定期テストの結果とか。場所もとるし、見返すわけでもないのに、捨てられずずっと部屋に置いてある。なぜなのかを考えた時に、それは全部その時の「想い」が込められているからだと気づいた。あと、きっと私が歴史好きなことも関係している。歴史は残されてきた史料や作品などがあるから今私たちが知ることができるのだ。
とにかく「記録する」「残す」ことを大事にしている私にとって、『舟を編む』は大事なことを改めて教えてくれたような気がする。
とても良い読書体験だった。
ありがとうございました。

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