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持続可能な生き方

みなさん、『サスティナブル』って
よく聞くようになりましたね。

ぼくは、この概念を6年前くらいに
聞き素晴らしい。と強く感じたのを
今でも覚えている。

意味としては、
「持続可能な」「ずっと続けていける」


そうだよな、って。
持続的に可能な状態じゃないと、
もったいないというか
繋がっていなかない。断続的な感じがする。

これはぼくの中で、
あり続ける大切な概念である。

ただですね、
この考え方を世界で一番してきたのは、
ぼく日本人だと思うんですよね。

他者のお金をどれだけ持続的に
絞り続けるかは、他国の方が秀でているが

日本時の場合、
どれだけ『豊か』であり続けるかを
本来、大切にしてきた民族ではないのかと、そう思う。


今日はそのことについて触れていく。


一番わかりやすく、”比較”という心苦しいものを使ってみようと思ってたくさんの文を書いたが、今回は消した。また別の機会で伝えたい。

比較は出さないけど、ぼくが思うのは

昔の日本人の「食」や「暮らし」をみたら、
無意識に根付いている概念かを思い出せるだろう。

例えば、梅干し。
これは、一生腐れない!

凄くないですか?
栄養もたくさんで、味覚を正常化してくれる。

味噌や醤油、糠漬けなど
少ない素材で手間ひまかけて体に良く優しいものを保存できる形にしてある。

最近、店頭に並ぶオシャレな調味料は、
体に良いかといったら、
梅干し、味噌などより劣るだろうし、すでにあるものが元となって調合されていたりもする。

また、冷蔵しないといけなかったり、
保存期間のために
もちろん保存料や味を良くするために
その他添加物がもれなく入っている。

日本の調味料や漬物など、
こんな素晴らしいものが他にあるだろうか。

ただの食料ではない、持続的に食べれる状態に
加工して、体にめっちゃ良いというところ。


暮らしで抜粋すると、部屋の使い方。
これは圧巻だと思う。

なぜなら、専用の部屋を最小限に
できるからである。
ひとつの部屋で、完結する。

朝起きて、布団を押し入れに入れたら、
寝室から何もない部屋が生まれる。

ちゃぶ台を置けば、
朝ごはんも食べれるし、勉強だってできる。

寝室だとしにくいが、
いわば多目的ホール的な使い方だから、
接待としても用いることのできる部屋となる。

西洋はベットを置くから各部屋を専用へと固定される。
この部屋は、なんの部屋、なんの部屋・・

千利休がお茶だけを愉しむ部屋として
準備していたのは逆にお茶に対する
特別感が浮き彫りになっただろう。

現代で言うなら、
リトリート部屋みたいな感じかな〜

ただ、1つのものを何にでも
変化させ代用して使うって大切。


これは食や暮らしだけではなく、
概念だと思うんです。

西洋は、仕事上も作業効率化のため
作業工程を分けて分けて、
それ専用の機械のように。

工場の製造もそうですし、
会社でも業務をわけて専門性を持たせる。
確かに効率は良いが本人の満足感が落ちる。


それしかやらないが故の一つの
パーツになり、

昔は当たり前にやっていた全工程をできる人は減ってきていく。


作業化すると単純化で飽きるから、
考えなくて済むけど、
ずっと同じことをすることに
しんどくなり、転職退職していく。


以前は
漬物を仕込んで、お客さん来て
商品の説明や作り手の想いを語って、
お会計して、笑顔で感謝される。
少し雑談してみたり、人との付き合い。

現在は
作ったことがない人が商品の説明する。
頭で理解してるだけだから、
相手も頭で情報を受けとる。想いはどこへ。

寿司職人は大変かもしれないが
やりがいはありそう。

大手寿司テーン店は、
店員さんたちが辛そうに見える。

どんどん機械化が進み、
入店して店員さんと目も合わせず話さずで席につけるようになっている。タッチパネルを押せば、寿司が流れてきて、お会計もセルフ。


ぼくはお客さんで行っても寂しい気持ちになるし、アルバイトさんも真顔で挨拶もなく作業的。

全てを1人でしなくても、仕事は人間的成長をさせてくれる。
ただ、作業は・・。
これだと機械的な人間の大量生産になっちゃいそう。


ぼくはこう思っている。
カタカナが出てくる言葉は、日本人に大切なものを忘却させる。

効率化・機械化・単純化も
資産を高める上で大切なのかもしないけど、
もっと大切なことがあるんじゃないだろうか。

幸せの持続可能。
食や暮らし、仕事、人間的成長。

大手のやり方は、国全体の思考や概念の根本から変えさせる力を持っているように感じる。



なので、
見た目日本人・中身アメリカ人の
現日本人ではなく。
同じゲンでも、元日本人は前から、
持続可能を尊重する民だった。

『サスティナブル』の考えは逆輸入で、
新たなことのように感じていたが、
実はちがったように思う。

現日本人にも体に
深く残っているものではないかと思う。

いま一度、自分の食、暮らし、生き方を
ふりかえってみたい。


ありがとうありがとうありがとう
考えるな、感じよう。
feel yuma

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