子どもと先生
第三者から見る子どもと先生は、どんなカタチであれ純度が高い関係性に思える。
子どもは認めてほしいし、先生は教えたい。
純粋な思いがそこにはある。
学校で感情をコントロールできない子どもが暴れる理由なんて100ある。数えればキリがない。
でも先生は教えてることを諦めない。
周りにいるワーカーとか、SCとかいう前に人間で、感情をフルに使って感覚をことばにする。
ただ、出過ぎないのがミソ。
魂と会話するにはことばのパレットを持つべきだと言うようなことを、とある有名な心理学者は言っていたな。
ここぞという時のわたしの感情はどんなことばなんだろう。
そんなことを思いながら学校にいたりする。
先日パズルが落ちたときのことを思う。そのときわたしは脳を通らず、さっと手を伸ばして、拾い集めた。そして、周りのホコリに気づいてついでにホウキで掃いた。
これがわたし。そしてなんかワーカーっぽい。
例えばこれが心理士だとどうなるんだろう、落ちたパズルを目の前にして、一旦拾うべきかどうか吟味するのかしら。
そんな人たちが子どもと先生の周りにいて、子どもと先生の関係性をよりよいものにしていく。そんなことができれば最高だな、と思うのでありました。
むらたさんちの子育て、ざっくり職場編でしたー。