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闘病記(2019年9月~12月頃⑤)

妻の笑顔と子供たちの訪問

しかしながら、副作用を克服する原動力は何といっても、お見舞いに来てくれる時の妻の笑顔と子供達の無邪気さだったと思います。

妻はほとんど毎日、お見舞いに来てくれました。僕は病院食、妻は持ってきたお弁当などをランチの時間に一緒に食べるのが日課となっていました。治療のスケジュールがずれ込んだり、昼に放射線の治療や検査が入ったりすると妻の訪問をキャンセルしないといけないので、そんな日はブルーでした。従い、何より妻が来るのが待ち遠しく、お昼ごろになるといつもロビーに降りて待っていました。僕を見つけると、いつもはじける様な笑顔で微笑みかけてくれるのがたまらなく嬉しかったです。

思うに、妻は僕が不安にならないように、不安な気持ちを抑え、僕には笑顔だけを見せるようにしていてくれたのだと思います。

ロビーで待っていると様々な患者とその伴侶、家族の会話を聞くことができましたが、(盗み聞きをしていたわけではないですが、皆さん「がん」という非常事態に感情がむき出しで、周囲が見えていないのか会話が聞こえてしまうのです)家族の言葉は「頑張ってね」「かわいそう」「さぞ辛いでしょう」みたいな励ましや同情の言葉がほとんどです。

中には「あなた大丈夫なの?」とか、『大丈夫じゃないから病院にいるんだろ』と思わず横から言ってしまいそうな言葉も聞こえてきます。「頑張って」という励ましもあちこちで聞こえます。だいたいの患者さんは苦笑いです。正直、患者は毎日辛い治療を頑張っているので、頑張っているところに「頑張って」では、どうすればいいのだろうか、と途方にくれてしまうでしょう。

「かわいそう」「さぞ辛いでしょう」という同情の言葉も本当にがんになった人間にしかわからない精神的な苦しみと肉体的な治療の苦しみを本当にわかっているのか、と思ってしまいました。もちろん、体調をおもんばかっての言葉であるのは間違いはないのですが、正しい患者への声掛けではない気がします。精神的にも肉体的にもボロボロなんですから。

さらに、自分ですら今後どうなるかわからない、治るかどうかわからない不安の中でキツい治療をしているところで、「あなた大丈夫なの?」なんて伴侶に言われたら、ブチ切れてしまいそうです。しかしながら、このような家族の反応やお見舞い時のコメントはごく一般的ですらあります。

そこへ行くと妻はひたすら笑顔でした。おそらく僕の治療がどうなるか心配で仕方なかったと思いますが、不安な顔を見せたらもっと僕が不安になるだろうと思ってか、ひたすら笑顔。話をしても退院したらこれを食べに行こうとか、ハッピーな未来の話しかしません。さらに土日に一緒に妻と来て、食事を共にする子供たちは、僕が死ぬことはおろか「パパ、いつもどってくるの?」という質問が毎回です。息子は「さすがにここでの食事も飽きちゃったよ(笑)」みたいな感じで、僕が帰ってくることが前提で話しています。

家族での夕食@癌研

こうなると、僕の選択肢は「治療を完遂して、寛解を得て、退院する」ことしかありません。僕がキツい副作用にも耐えられたのは、癌研とそこで働く看護師の副作用対処のノウハウと配慮の数々、そして妻や子供たちの無邪気な信頼があったからだと言えるでしょう。

この時はコロナ禍でなかったこともあり、沢山の先輩や友人が訪ねて来て、沢山のお見舞いをもらいました。経営者仲間が持ってきてくれた大人買いした大量の漫画本。慈善団体の仲間は当時流行っていたシェアリングエコノミーや浅田次郎の本とがん封じのお守り。コンサルティング時代の上司が持ってきてくれたクルマの開発者の書籍、ルービックキューブと攻略本。そしてオールブラックスの上下ジャージ、、、それぞれが僕への想いがタップリと入ったもので、ひとつひとつが入院生活を忘れさせてくれ、副作用との闘いのエネルギーになっていきました。

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