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闘病記(2019年9月~12月頃③)

初めての長期入院とその準備
生検の結果が出たとのことで、診察を受けに行くと、先生から「よくあるタイプのリンパ腫ではありませんでした」との説明の後に「節外性NK/T細胞リンパ腫 鼻型」という診断結果を告げられました。正直「???」でした。病名を聞いても、重大さや深刻さが全く分からなかったからです。

悪性リンパ腫の中でも非常にまれなもので、治療には抗がん剤と放射線を並行して行い、個人差もあるが2~3ヵ月程度の入院が必要とのことでした。ステージはいわゆる「1から2の限局期」で治療の目的は「根治」という説明も付け加えられ、ここで僕は「がん患者」であることが確定しながらも、「根治」を目指した治療を行うということもわかり、「延命治療」でないことや、いわゆる「余命何ヶ月」と言われる状態でないことに、ひとまずは安心することができました。

このころになると自分が「がん患者」であることをはっきりと認識し、治るのかどうかに興味は変わっていました。冊子を渡されてから数週間にわたる検査と時間を経て、少しずつ自覚していたのでしょう。

ゆえに、この病名が確定したタイミングで、5年生存率をはじめ、標準治療はどのような方法か、どのような副作用が現れるかなど、病気そのものよりも治療に関する本格的な情報収集が始まりました。基本的にはネットを中心に検索し、加えて、癌研の情報コーナーなどで様々な情報を集めました。

基本的にネットで検索して出てくる情報は、
・発行元が事実をもとに病気の性質や治療法について書いてあるもの
・とにかく「がんは治る」と言っている怪しげなもの
・個人のブログなどで闘病の様子が克明に描かれているもの
の三つに大別されます。発行元がしっかりしているものの代表としては、国立がん研究センターが運営している「がん情報サービス」や各病院のホームページで提供される情報、少し難しいのになると、J-Stageなどで公開、リンクされている医学論文などが該当し、最も信頼できる情報として参考にしました。

これらの情報から、僕の悪性リンパ腫は、
・非常にまれなタイプだが限局期で治療できれば5年生存率はそれなりに高い
・ただ悪性リンパ腫の再発率は高く、5年生存率は再発も包含しての数字
・標準治療は抗がん剤と放射線の併用ゆえ、副作用はかなりキツい部類
・副作用のキツさで治療が長引いたり、中止もあったりする
ということがわかりました。結論として、とにかく頑張って治療を完遂すること、治療の副作用が強くとも途中でギブアップしないことが生存可能性を高め、自らの生きる道であると理解し、とにかく治療を前向きに受けようと決心しました。

なお、いわゆる標準治療を選択することである程度の5年生存率が期待できることがわかっていたこともあり、標準治療外の治療方法を検討したり、とにかく「がんは治る」というタイプの怪しげな情報については全く参考にしませんでした。一方で、がんの闘病に関するブログについては、同種のがんでなくても悪性リンパ腫や白血病の患者さんが書いているものを中心に、諸先輩の奮闘ぶりを自分の治療の励みにさせてもらうつもりでいました。

この情報収集作業と並行して、通院では入院治療のための準備が始まり、放射線照射のためのマーキング作業と固定具の作成を行っていました。僕の場合、上顎の右奥に照射部位があったものですから、上半身にマジックの様なものでマークを書き位置を合わせ、頭部の固定具を作成していました。

このマーキングが曲者で、お風呂に入るときに服を脱ぐと、なんだか体中に落書きをされているような感じでありながらも、耳なし芳一のようなただ事ではない雰囲気もあるので、子供には見られないように配慮をしていました。しかしながら、ある日、お風呂に入るときにうっかりして上半身裸の状態で息子の前に出てしまい、「えーパパどうしたの?」と言われ、焦ってしどろもどろになってしまいました。

もともと、2ヵ月の入院で長期不在となることから、子供達にも悲しい告知をしなければならないと思っていました。が、必要な情報を与えつつも、不必要なショックを与えないようにしなければならないことから、説明を躊躇していました。

妻に告知をするのも辛かったですが、子供達に告知をするのも辛かったです。何より、学校のクラスのお友達のお父さん、お母さんで同じような境遇になる子供は少ないでしょうから、子供達自身の心の変化が心配でした。僕自身が思ったように、「なんで僕/私だけがこうなる」などという悲しい思いをして、楽しい学校生活に悪い影響が出てほしくなかったのです。

幸いにして、癌研への通院中に情報コーナーにてノバルティスファーマが作成した「わたしだってしりたい!」という冊子を見つけていました。この冊子には、アメリカのMDアンダーソンがんセンターで作成された、子供に告知する際の親のがんを子どもに伝える時の3Cの原則について書かれていました。3Cとは、
・Cancer(がんであること)
・Catchy(伝染しないこと)
・Caused(原因はわからないこと)
であり、子供がいつもと違う何かが起きている不安に囚われながら家庭や学校で生活するより、上記のポイントを中心とした真実を伝えることで、家族の一員として正しく状況を伝え、家族で問題を共有し、親が希望をもって病気に立ち向かっていく姿を見せることで子供の安心感につなげることを目的としていました。妻と慎重に相談し、この内容に納得し、告知を正しく行い、家族一丸となって闘おうという気持ちで一致していました。

いざ、入院の二日前に告知を決行しました。事前に何度も頭の中で説明のストーリーを反芻した成果もあって、3Cの原則についてホワイトボードを用いて説明するまでは順調に進みましたが、だんだん子供たちの顔は不安に曇っていきました。特に小5の息子はもう涙目になっています。そんな二人の顔を見ていると、図らずして病気の父を持ってしまう子供たちに申し訳ない気持ちが出てきてしまい、最後に「こんなに病気に弱いパパでごめん、、」というと、家族4人で大号泣しました。おいおいと泣き晴らすぐらい泣きまくりました。

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全員の涙が枯れたところで、クリスマスには絶対に元気で帰ってくることを約束し、治療の副作用で禿げちゃうであろう頭を見ても笑わないでね、とおどけつつ、写真の様な笑顔で、「みんなで頑張ろう!」という気持ちになれました。さあ、これで入院治療の準備は整ったかな。

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