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あの頃、助けてくれたレスラーたちのお話し

第一話
大学生のころ、ボクは学生プロレスをしながら、プロレス会場設営のバイトをしていた。4年生の終盤は全日本女子プロレスの会場で、リング作りとイス並べをする機会が多かった。

全女の会場はイス席の後方に立ち見客が指定席エリアに入れないようにフェンスが設置されており、試合中はそこでチケットを確認する門番役をすることが多かった。
指定席エリアに入れる通路はお客さんだけでなく、リングに向かう選手も通るのだが、非常に狭い。小柄な若手が通る分には問題ないのだが、メインに登場するブル中野選手ら獄門党のメンバーがセコンドと一緒に大挙して入場するときには、そこでイスに座っているボクの存在は邪魔くさいのだ。

申し訳なく思い、選手が入場するたびにイスをたたみ立ち上がっていると、「立たなくても大丈夫だよ。」と言ってくれたのが井上京子選手だった。

そんなことから会場で、顔を合わせると挨拶したり、わずかだが言葉を交わすようになっていった。

その後大学を卒業し、リング屋のバイトをすることもなくなってから約2年がたった。ルチャドールになろうとメキシコに渡り、とりあえずピスタ・レボルシオンという会場に試合を見に行くと、ちょうどそこに参戦していた京子選手に試合後、会場の外で遭遇した。

「なにしてるの、こんなとこで?」

「実はレスラーになりたくてメキシコに来たんですけど…。」

たかだかバイトの一人だったボクのことを、どれだけ覚えていてくれたのかはわからないが、慣れない異国の地で普通に接してくれただけでもありがたい。ボクの状況説明をひとしきり聞いてくれた京子選手は励ましの言葉をかけてくれた。

「あ、ちょっと待ってて」

控室から戻ってきた京子選手は、何かをボクの手に握らせた。

「これでごはんでも食べてね」

すぐにそれが紙幣だということがわかった。メキシコに来て3日目で、まだ何も動き出せていなかったボクは、地獄で女神に遭遇した心境だった。

京子選手が去り、手をひろげてみると、ボクが握っていたのは100ドル紙幣だった。

それから20年ほどたったころ、偶然にもアメリカのイベントで京子選手に遭遇したので声をかけてみた。

「昔レスラーになりたくてメキシコに行ったとき100ドルいただいて、そのせつはありがとうございました。」

「それ覚えてる!そのあとレスラーになったの?」

「はい、本当にあの時は精神的にもつらかったのでうれしかったです。」

「それ、もっとみんなに言ってよ!」

第二話
はじめてプロレス会場設営のバイトをしたのは、89年3月の新日本プロレス新座大会だった。
試合が始まると、ボクは選手控室の方に一般客が行かないよう通路に立ち警備していた。
しかし立ち入り禁止エリアから一歩踏み込んだところに選手用のトイレがあるため、多くの人がそこにやってくる。
選手専用だと伝えるとみんな引き下がってくれるのだが、そこに一人の酔っ払いがやってきた。

「いいじゃねえか、トイレぐらい行かせろよ。そこにあるじゃねえか。」

いくらダメだと説明しても、なかなか聞き入れてくれず困っていると、後ろから声がした。

「どうした?大丈夫か?」

まだ若手だった鈴木みのる選手がこのやりとりを見て、割って入ってくれたのだ。
酔っ払いはそれまでとは別人のようにおとなしくなり、すっと消えていった。

「なんかあったら言えよ。」

そう言い残し鈴木選手は控室に戻っていった。このことを18年後にメキシコで取材した際伝えると、「そんなことあったの!?」と驚きつつも、大喜びでこうこたえてくれた。

「それ、もっとみんなに言ってよ!」

第三話
8年前アメリカから帰国した際、学生プロレス時代の後輩が当時の仲間を集め、飲み会を催してくれた。彼らに会うのは卒業以来なので、ほぼ四半世紀ぶりだ。

この日遅れてやってきたサプライズゲストは、学年で2年先輩のメンズ・テイオー選手だ。
テイオー選手はボクが1年生の時、学生プロレス全体の代表を務めており、当時は怖くて直接話をすることなどできない存在だった。
お互いプロレスラーとなってからは、挨拶ぐらいはする機会があったが、ちゃんと話すことはこの日までまったくなかった。

関東学生プロレス連盟というくくりではあったが、大学は違うため直接指導されたことはほとんどなかったが、2年生の合同夏合宿の際、「小林は後ろ受け身を取るとき、肩で取ってるから、もっと背中全体をつかったほうがいいよ。」とアドバイスしてくれたことがあった。

そのころのテイオー選手は、七尾で行われた全日本プロレスの合宿に帯同した直後で、ジャイアント馬場さんが輪島選手に受け身を教えていたのを見て、同じ要領でボクにリングで指導してくれたのだ。

リングが硬いメキシコでは、後ろ受け身はほとんど練習しないし、教えられることもない。
したがってメキシカンの多くは、それほどきれいに後ろ受け身を取ることができない。
ほかの技術はメキシコで教わったものに切り替えていったが、後ろ受け身はテイオー選手に教わったものをそのまま使っていた。

「メキシコでは、あれ(後ろ受け身)を教わる機会がなかったので、2年生の時、大塚さん(テイオー選手)が教えてくれたのは、のちのち助かりました。」

席上そう伝えると、テイオー選手はこうこたえてくれた。

「それ、もっとみんなに言ってよ!」

以上、井上京子選手、鈴木みのる選手、メンズ・テイオー選手の「それ、もっとみんなに言ってよ!」の話しでした。

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