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あの頃の安達勝治'95&'96①

(あっミスターヒトだ!)

 95年3月、場所は群馬県太田市の駅前にある、ビジネスホテルのロビー。ボクはレッスル夢ファクトリー旗揚げ戦に参戦するメキシコ人3選手とともに、その世話役をたのまれメキシコから日本にやってきた。

 成田から2時間以上の距離を車で移動し、宿泊場所となるホテルのロビーに入ると、ソファーからゆっくりと立ち上がる人がいた。それがミスターヒトとして知られる安達勝治さんだった。
 安達さんが夢ファクでコーチ兼レフェリーをつとめることは聞いていたが、同じホテルに宿泊するとは思ってもいなかったので、大先輩との遭遇に一気に緊張してしまったのだ。
 
 海外で何度も修羅場をくぐり抜けてきた巨大な老人といった風貌の安達さんは、マタギのようない出立ちで、着ている上着の破れた個所をガムテープで補強している。これだけでも只者ではない雰囲気が伝わってくる。

 翌日練習のため選手たちとともに熊谷にある夢ファク道場に行き、リングをもの珍しそうに見ていると、ボクのもとへ安達さんがやってきた。

「お前もレスラーだろ?見てやるからリングに上がってみろ。」

リングに上ると、安達さんは基本的な動きを要求してきた。

「ロックアップはメキシコでは逆に組むのか!?じゃあ日本式を教えてやるから、ちょっとやってみろ。」

安達さんに何度も組みつく。

「よし、じゃあリングを回ってから組んでみろ。」

「そんな歩き方じゃだめだよ。簡単に倒されるよ!普通に歩いてから中央に身体を向けて組むんだ。」

「今度はストンピングだ、やってみろ。」

「そんなんじゃだめだ、もっと両足を高く上げて!」

 やることすべてにダメだしされるのだが、安達さんはその都度丁寧にわかりやすく教えてくれるのだ。思いがけないところで大ベテランに日本スタイルの教えを受けたこの体験は、メキシコのスタイルだけをやってきたボクにとって貴重なものとなった。しかしこんないい話しだけでは終わらない。

 次の日行われた夢ファクトリーの旗揚げ戦は大成功に終わったが、事件はオフの間におこった。

 次の大会までオフが2日間あり、その2日目は東京ドームで行われるベースボールマガジン社主催の「夢の懸け橋」に、夢ファクの茂木正淑選手がボクたちを連れて行ってくれることになっていた。しかし前日メキシカンを東京見物に連れて行き、帰りが遅くなったボクは、この日の出発時間を聞いていなかった。
 ホテルで朝食をとっていると、三浦博文選手がボクたちをむかえに車でやってきた。

「じゃあ選手たちを呼んできます。」

 部屋にいる選手たちに、車が来たことを伝えようと席を立った時、安達さんが呼び止めた。

「なに!?みんなに時間を伝えてないのか?」

「はい、夕べ帰りが遅かったので、時間を聞いていなくて…。」

「ばっかも~ん!!」

安達さんの怒声とともに、ビンタがぼくの頬に飛んできた。

「ヒールのトップである三浦くんが迎えに来ているというのに、用意できていないとは何事かあ!!」

「あ、でも、聞いていなかったので…。」

「まだ言うかー!!」

 車は安達さんと若手のアジャ幸司、メキシカンのオリンピコとぼくをのせて熊谷の道場へ向かい、そこで東京まで運転してくれる茂木さんと合流することになっていた。しかし道場に着いても安達さんの怒りは収まらない。

「文句があるなら、ここ(リング)でやってやってもいいんだぞ!」

 まさか日本に来て、大ベテランに絡まれることになるとは思わなかった。しかし不思議とあせる気持ちはなく、とにかくこの場を収めることだけを考え、何を言われてもあやまることにした。

 東京ドームへ向かう途中、コンビニでビールとおつまみ、スポーツ新聞を買い込んだ安達さんは、車の三列シートの最後列から二列目のボクに、文句を言い続け、こっちはひたすらあやまった。
 やがて安達さんの声が聞こえなくなった。どうやら眠ってしまったようだが、何が引き金になって爆発するかわからないので、この間ボクは一切後ろを振り返ることができなかった。

 後楽園に着き、車を降りる際に後部座席を見ると、かなりの数の空き缶とおつまみが散らばり、新聞紙がぐしゃぐしゃになった中に、酔っぱらった安達さんが埋もれるように眠っていた。

つづく

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