見出し画像

あの頃のタイガー戸口 en Mexico '93④(終)

 「カジェ・プラティーノ、ポルファボール!」

 毎週水曜日の朝、畠中さんと二人で戸口さんの住むホテルに向かい、そこから選手組合の道場にタクシーで向かう。この時の戸口さんはなぜかいつも上機嫌で、必要以上に大きな声で行先を運転手に伝える。

 ある日の練習後、選手組合の広間でUWAの選手が集まり全体ミーティングが行われ、ボクらも参加した。このころのメキシコマット界ではAAAの一人勝ち状態で、UWAは観客の減少に歯止めがかからず、その存続が危ぶまれていた。ここでは窮地を脱する手段として、AAAと提携するか否かが議論されていた。   

 UWAにとってはテレビ中継に出ていて、知名度のあるAAAの選手を借りることができ、定期会場をもっていないAAAにとっては、UWAの所有会場で行われる定期戦に選手を斡旋できるというメリットがあるのだ。しかしAAAと提携し対抗戦を行うのであれば、単純計算すると一つの会場に出場できるUWAの選手の数はそれまでの半分になってしまう。それでは仕事が減ってしまう、と不満を持つ選手から反対の声があがっていたのだ。
 選手会長ドスカラス進行のもと会は進んでいく中、ボクには何が話し合われているのかさっぱり理解できないが、終盤挙手による採決が取られることになった。

「これってどっちにあげればいいんですか?」

 あせったボクは助言を求めたが、戸口さんは前を向いたまま黙っている。
「ではこの意見に賛成の人は手を挙げて。」
ドスカラスの声にあわせ、続々と手が上がる。戸口さんもそれにしたがうように手を挙げた。

「なんて言っているんですか?」

 質問するぼくと目を合わさず、戸口さんは前を向き無言を貫く。仕方なくボクもみんなと同じように手をあげた。この結果が反映されたのかどうかわからないが、この数か月後UWAとAAAは対抗戦を開始した。

 年末にはアメリカの家族のもとへ帰った戸口さんだが、年が明けるとまたメキシコに戻ってきた。
「中華料理を食べに行くぞ!どんな高い店でもいいから案内してくれ。」
ボクはここぞとばかりに、繁華街にある店構えの立派なレストランに連れて行った。

「畠中はどうした?」
「日本に帰っていて、明日戻ってきます。」
「ははは、そうか!あいつもあと一日早く戻ってきてれば、おごってもらえたのにな!」

 アメリカでリフレッシュしてきた戸口さんは上機嫌だ。食事を終えると腹ごなしに、ホテルまで歩いて帰ることにした。

「ごちそうさまです。おなかいっぱいです。」
「おお、気にするな!アメリカで車を売ってきたから、金ならあるんだ。」
「………。」

 お金のなかったボクだが、本当にごちそうになってよかったのか、と申し訳ない気分になってしまった。

「お、ちょうどいい時間だな。これから日本の○○に電話するから、お前も俺の部屋まで来い。」

 日本の団体に参戦することが決まっていた戸口さんは、詳細を確認するために電話をすることになっていたらしい。
「○○にガツーンと言ってやるんだ。交渉はこうやるんだって言うのをよく見ていろよ。」
 ホテルの部屋に入り受話器をとった戸口さんは、交換手を呼び出し、コレクトコールで日本につないでもらった。
「いいか、よく見てろよ。」
数十秒後、電話がつながった。

「もしもし、○○さんですか?戸口ですぅ。」

 さっきまでの勢いはどこへやら。これは吉本新喜劇のコントか?と思わせるほど見事な豹変ぶりで、声のトーンもいくらか高くなっている。
「ハイ…、ハイ…、ハイ…、わかりました。どうぞよろしくお願いいたします。」
 終始下手にでたまま電話を終えた戸口さんは黙ってぼくの隣に座り、口を開いた。

「…おい、もう帰っていいぞ。」

 一体この人は何を見せたかったんだろうか?頭に疑問符を浮かべながら、ぼくは夜道をペンション・アミーゴへと帰って行った。


「今度○○がメキシコに来るだろう?その時おれを日本で使ってくれるように言うつもりだ。お前のこともちゃんと頼んでやるからな。」

 さきほどとは別の、日本のある団体の代表がやってくることを聞きつけた戸口さんは、練習前ボクに話した。
「そこでおれと××が戦うんだ。おもしろいぞ!」
 頼んでくれるのは大変ありがたいことだが、デビューしたばかりのボクが日本に行くのはまだ早すぎる。そう考え、どう断るべきか悩んだ。しかしその問題は、翌週いとも簡単に解決した。

「おい、今度日本から○○が来るだろう。」

 先週と同じことを言い出した戸口さんだが、今回のテンションは低い。    

「おれは日本に呼んでくれって言ってみるつもりだ。…日本に行きたかったら、お前も頼んだ方がいいんじゃないか?」

 どうやら先週「頼んでやる」と言ったことは、戸口さんの中ではなかったことになったらしい。しかしボクに期待を持たせてしまっては悪いと思い、戸口さんなりにちゃんと事情が変わったことを伝えてくれたのだろう。

 これまで合同練習を提案するなどしてUWAを盛り上げようとした戸口さんだが、やがてEMLLにもかけもちで参戦するようになった。団体存亡の危機が忍び寄るUWAでは、ついに戸口さんクラスの選手でも、ギャラが交通費にも満たないという事態が起こるようになったからだ。

「頭にきたから、もらった金を(代表の)マイネスに投げつけてやったよ。」

 二つの団体を掛け持ちしていた戸口さんは、カネックを破りUWA世界ヘビー級王者になった。しかし金銭的な状況は変わらず、UWAから身を引き、EMLLに専念することになった。

 UWA最終日のアレナ・ネッサで、カネックに敗れベルトを取り返された戸口さんは、同日その足でEMLLのアレナ・メヒコに出場した。しかも試合時間に間に合わせなければならないので、ネッサではタイトルマッチにも関わらず前座に試合を組ませるというムチャクチャさだった。
 その後日本の団体に頻繁に出場するようになり、いつの間にかメキシコから姿を消してしまった戸口さんに再会したのは、20年以上たってからのことだ。当時の事情を知っていたドクトル・ルチャこと清水勉さんが、ぼくとの待ち合わせの際、取材先からそのまま戸口さんを連れて来てくれたのだ。

 メキシコでお世話になった当時の感謝を伝えたのだが、戸口さんの反応はにぶい。これはどこかでみたことのあるシーンだ。ボクにとっては忘れようにも忘れられない強烈な個性を持った人だったが、戸口さんはあまりおぼえていないのだ。 

 それでも戸口さんがいたからこそボクはルチャドールとしてデビューすることができたのだから、今でも大恩人であることに変わりはない。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?