見出し画像

あの頃のタイガー戸口 en Mexico '93 ②

「聞いてくれよ。戸口さんがさあ…。」

 試合から帰ってくると、畠中さんはため息をつきながら愚痴を言うようになった。
「先週より今日は客が入っているな、って言うんだけど客なんか全然いないんだよ。」
 金本さんの時と、まったく同じ話だ。本当にそう思っているのか真意は不明だが、戸口さんは超ポジティブ思考だ。当時すでにメガネスーパーはプロレス事業から撤退していたのだが、「日本に帰ったら社長の田中八郎に3億出させる。」と豪語することもあった。第三者として聞いていれば笑えるのだが、こんな話ばかりを毎日直接聞かされる畠中さんは、精神的に疲れてしまうのだ。

 そんな戸口さんが、ついにボクと畠中さんの住むペンション・アミーゴにやってきた。「みんなでカレーを作ろう。」と言いだしたのだ。みんなと言っても、この日ボクはバイトに行かなければならなかったので、作るのは畠中さん一人だ。

「かんべんしてくれよ。2人にしないでくれよ。」

 畠中さんの悲痛な叫びを聞き、時間の許す限り参加せざるをえなくなってしまった。ボクたち2人がカレーを作っている間、手持無沙汰なのか戸口さんはアミーゴの小さい食堂と台所の間を行ったり来たりしている。食堂に入ってきた旅人も、突然目の前に190センチ、130キロの大男が現れて驚きで凍りついている。ホテル住まいで自炊ができない戸口さんは、毎日のようにファミレスに通い、「店のメニューはもう全部食い尽くした。」とあって、久しぶりの手作り料理にテンションが上がりまくっているが、それに反比例して畠中さんのテンションはどんどん落ちていく。

「なんだ、お前らいいところに住んでいるじゃないか。おれもここに引っ越すかな。」

 ボクら二人は凍りついた。さすがに大先輩の戸口さんと同じ空間で生活するのは勘弁願いたい。
「いや、戸口さん…、ここドミトリーしかないんですよ…。他の人と相部屋は抵抗ないですか?」
「うーん、そうか…。」
この様子だと前からボクたちと、共同生活をしようと考えていたのかもしれない。
「小林、お前もこれ食べていいんだぞ、遠慮するな。」
 喜んでカレーを食べる戸口さんは、スーパーで買ってきたマカロニサラダを勧めてくれた。しかしサラダの入ったタッパーは、戸口さんの左手でしっかりと握られているため、とても手をのばすことができない。悪気はないのだが、この人は天然なのだ。

「あの人さ、買い物しても金払わないんだよ。」

 夜バイトから帰ってくると、部屋にいた畠中さんは、たまっていたものを吐き出すかのように口を開いた。
「さっきのカレーの材料ですか?」
「そうだよ、日本食スーパーで高いカレーのルー買って、他にもいろいろ買って、レジで○○ペソです、って言われているのに、むこう見てしらぷりしているんだよ。」
「それで、畠中さんが出したんですか?」
「だって、あいつ出さねえんだもん!自分から「みんなでカレーを作ろう」って言ってんのに、作るのもこっちだし、かんべんしてくれよ!」
誤解のないように言っておくが、戸口さんはすごくハートの良い人だ。面倒見もよく、ミスターデンジャーの松永光弘選手がメキシコで倒れた時も、医者の手配をしたのは戸口さんだった。しかし子供っぽい面と、ビッグマウスという強烈な個性が、それを上回る主張をしてくるのだ。

 畠中さんはルチャドールのライセンスを発行してもらうためにコミッションに行くようUWAから指示され、まだライセンスを取得していなかった戸口さんも一緒に行くことになった。証明写真を撮りに行った写真屋で、戸口さんがメキシコのビザを取り出しページをめくった。

「ライセンスの写真って、ビザと同じサイズでいいのか?」

 戸口さんが差し出したメキシコのビザには、もとは大きかったであろう写真が、三回りほど小さく切り取られ、むりやりサイズを合わせたものが窮屈そうに張り付けられていた。そのため写真の枠内に余白は一切なく、顔の輪郭がフレームからはみだし、写真内におさまっていないのだ。破壊力抜群の写真を至近距離で見てしまったボクたちは笑いを押し殺し、店の外に逃げ出した。
「何のつもりだよ、あの人!あんなもの見せやがって!」
畠中さんも、この時ばかりは怒りながらも大爆笑だ。ちょっと距離を置いてみると、戸口さんほど面白い人はいないのかもしれない。
 
 畠中さんにとって、戸口さんはネガティブな要因でしかなかったが、実はボクにとってはそうでもなかった。それまでウエイトトレーニングに通っていたジムが潰れてしまい困っていたのだが、戸口さんが別のジムを紹介してくれたのだ。しかも戸口さんの口利きで、お金は一切払わずに使うことができるようになった。
さらに戸口さんの提案で、選手組合の道場でUWAの合同練習が毎週行われるようになり、「お前も来い!」と参加させられるようになった。この数か月前に、メキシコに来てから練習をしていたラガルデのルチャ教室がなくなり、UWAとの接点がなくなってしまったので、この誘いも渡りに舟だったのだ。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?