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書いた?書けん!開高健記念館に行ってきた。

前々から気になっていた茅ヶ崎の東海岸にある開高健記念館にようやく行くことができた。壽屋(サントリー)の宣伝部時代の展示が開催中だった。いいね、宣伝部という言い方。

1954年、23歳で大阪にあった壽屋(現・サントリーHD)に入社後、宣伝部で の活躍を経て58歳で亡くなる最晩年まで、開高健が遺していった数々の広告人とし ての足跡を三つのジャンルに分け、それぞれの顔を追いかけていくことで、時代や 社会にいかに多彩で強烈で魅力的な広告の世界を切り拓いていった存在だったのかを 振り返ります。 

開高健記念館HP


その当時の私にとっては開高健と言えばホントの大人。大人という存在を定義すれば「どんなことにでも一家言を持つ人」のこと。歴史、政治、戦争、文学、釣り、酒、世界の食、女性…「男のロマン」などという言葉が闊歩していた時代にあっては、大人の男の世界を教えてくれるような大兄のように見える人。傾倒していた訳では無いが、目に映るさまはそんなイメージだった。彼が亡くなったのは58歳、太く短い人生だったのだろう。自分もぼやぼやしてたら同じ年回りになってしまった。トホホ。今や何を言っても唇が寒い時代。炎上して焼き尽くされてしまう。開高健は、良い時代を生ききったのかも知れない。

館内では、NHKの番組「あの人に会いたい」のビデオが流れていた。インタビューアーの質問にちょっと怒りながら答えている場面があった。「なぜ山に登るのだ。そこに山があるからだ」の言葉を引き、相手の言葉を無化した最高の答えだと解説しながら、その質問には意味がないと叱責してるようなやり取り。

怒れる大人も少なくなった。今の時代は、怒りの発露は匿名になり誰の言葉か分からないように安全地帯から悪意とともに撒き散らされる世界になってしまった。なんともはや。

☆ 

開高健を最後に読んだのは、絶筆になった「珠玉」だった。なので、もうウン十年前のこと。職場の師匠から「あれ読んだ?」と問われ、「死の匂いが漂ってくるわ」と微笑まれた。氷の微笑!オソロシ。

ひとたび小説の世界を訪れれば宝石のように磨かれた言葉の数々に出会えた。自分などには、開高が投影された主人公のような境地に至ることは無いだろうと苦笑いしつつ、生きる事の美しさへの賛美の隙間から死が除いていることのなんとも言えぬ耽美さに浸ったのを思い出す。大兄から「どのみち欲から逃れられぬ生ならば本能を味わえ!」と呵々大笑されたよう。

『悠々と急げ』

なんか、なるほどだわ。

リミットはある。が、しかしだな。ゆっくりと味わって生きろ!


 

閑話休題(あだしごとはさておき)

記念館の展示は、サントリーの広告時代。広告に添えられた惹句(コピー)にも大人を感じてたなぁ。

アンクルトリスのつぶやき

『人間』らしくやりたいナ、『人間』なんだからナ

『  』には何を入れてもそれっぽい。AIでも良いなぁ。

サントリーオールド広告文

旅は男の船であり、港である。

そして男は自殺するかわりに旅にでる。

今は男に限らないけどね。鹿児島へ一人旅にでかけた時、ひとりレンタカーの旅人が5人、そのうち男は私だけだったことが証明してた。

開高健の生きた時代を感じ、勝手に開高健フィルターをかけて現代を覗いて見れば、昔と対して変わってないことがあることにも気づく。

人類が科学に基づく沢山の知識を手に入れても、人の本質はそれほどは変わってないのだろう。一皮剥いでしまえばなぁ。

記念館では、もちろん開高健の書籍を販売してる。何が良いかな?と『最後の晩餐』を手に取る。戦争・疫病・飢饉などなど、どん底(レバフォン)の中での食欲についてのあれこれが書きつけてある。脳と胃袋が近しいところにある人はすぐに食欲がなくなりそうな記述のオンパレード。例えば「オシュヴィンチムの野菜」。=人間が堆肥になり大きくなった野菜のことを言うとのことだ。
かつて、人間を人間と認識しないでいられる普通の人がたくさん産まれた社会があったのだ。それは、突然変異でももなく今も出現する可能性があることを思わずにいられない。

これでもかと苛烈な言葉が他人の話から本の海から自らの体験から掬いだし書きつけられてた。嗚呼。

やっぱり

『人間』らしくやりたいナ、『人間』なんだからナ



蛇足、
書いた?書けん!は、あるファンが「かいこう たけし」を「かいたか けん」と読み違え、それを遅筆で知られた開高が面白がって「書いた?書けん!」と言ってたというエピソードから。



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