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淘汰される者

職場にすごくどんくさい男子がいた。何をやるにも遅くて下手なので同じパートの女性からも
「ああいうのは本来淘汰されるべきなのに!」
と陰でボロカスに叩いていた。
私もその頃は多忙すぎてイライラしてたので一緒に怒っていたが、私だって元は彼と変わらない
「新しいことをすると必ず失敗」
「誰かが待ってるプレッシャーに負けて今までできてたこともできなくなる」
「集中すると雑談できない」
私も淘汰されてもいいような人間である。
私や彼のような人間は自然界ではとっくに○んでたと思う。
そして、私はたまに、だったら素直に○にたかったと思う時がある。
人間て「弱いもの」をいつまでも庇い続ける唯一の生き物だ。
動物は親子でもある程度育てば一人立ちさせられる。でも、人間はどうだろう?親元にずっといられるし、仕事だってずっと人に世話になって得ていられる。
もっといえば、障害をもっていたり、心的外傷で調子が悪くなったりすればずっと親からお小遣いをもらうこともできる。
でも、これって辛いんじゃないだろうか?
人って「できない」と思えばいつまでも「できない」でいられるもの。
「甘え」とかいうんじゃなくて、「やってくれる人がいるならやってもらおう」という当然の心理が浮かぶからである。
善意でやってるのは分かるし、親は子供がいつまでも心配らしいから仕方ないのだろうけど、
「自分が○ぬまでは援助しよう」
というのはお互いを苦しめるやり方だと思う。
援助期間が長いほど立ち上がるときは辛くなる。今までホイホイもらえてたお小遣いがなくなるのだからそれはそうだろう。
これを「善意だから」で済ましていいのだろうか?
人っていつかは○ぬ。
その大半を
「この援助がなくなったらどうなるだろう?」
と思いながら生きるのもなかなかの地獄ではないだろうか?
みんな人に○なれたくないんだろう。
でも人は必ず○ぬ。
お小遣いをあげるのやめてみて欲しい。
だめにならせてあげてほしい。

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