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令和『いろはにほへと』-る-

令和『いろはにほへと』-る-

 「留守番電話」。かれこれ30年近く前、どデカいアタッシュケースの様な『携帯電話』が登場し始めた頃の話。
 その頃の留守番電話は、小ちゃな「カセットテープ」の録音機能付き家庭用電話みたいなイメージだった。
 そもそも、今のように誰でもポッケに一個スマホを持っているような時代じゃなかった。はじめ僕は、固定電話の『権利』すら持っていなかった(電話の「権利」知ってる人ってどれくらいいるかな?)。電電公社(今のNTT)7〜8万円ほど支払って権利取得をしてから、固定電話(重たいダイヤル式)を電電公社から借りるか購入して、家(もしくは借りアパートの部屋)に設置する。この時点で僕は、気力体力経済力が力尽きる。電話はそれほどまでに、気軽なものではなかった。
 それからしばらくして、プッシュフォン式の電話機にアップグレード。さらに暫くして、お金を貯めて(もしくは町のそこいら中にあった「古道具屋(リサイクルショップ)」で程度の良さそうな留守番電話を購入して、電話線に繋いだ。
 夜バイトから帰ってきた時に、暗い部屋の片隅で小さな赤いランプが点滅していると、留守中に電話がかかってきた(メッセージが入っている)ということになる。しかし、せっかくせっせとバイト代を貯めて留守番電話に交換しても、まずランプが点滅していることなど無かった。
 貧乏学生には基本料金も利用時間で増える通話料金も、馬鹿にはならない。だから、極力こちらからは電話をかけない。似たような環境の友人たちも出来るだけ控えるようにしていただろう。こうなると、何の為に電話を設置したのか分からなくなってくる。おかしな話だ。
 好きな女の子がいたとしても、向こうから電話がかかって来ることはない。だから、ポケットになけなしの小銭を突っ込んで、電話ボックスに向かう。
 その日あるだけの小銭を公衆電話の上に積み上げ、勇気を出してダイヤルを回す。
 あ、いやいや、話が大幅に逸れてしまった。留守番電話の話しね。
 電話というやつは、無いと不便だがあると煩わしい。
 こちらからかける分には要件を口頭でダイレクトに伝えることができるので、大変便利だ。短時間で要件のみ伝えることもできるし、長話もすることができる(お財布次第だが)。
 しかし、かかってくる場合に関しては、突然で無遠慮で、なんか必ず電話に出なければいけないような変な義務というか責任というか、トイレに入ってても料理を食べていても出なきゃ悪いんじゃないかというような、突然自分の時間を拘束されてしまうような、妙な気持ちになる。
 留守番電話は、その煩わしさの軽減をしてくれる道具だったように今思うと感じる。そうなると、結果的には当時の僕には決して必要なものではなかったみたいだ。
 そんな留守番電話が、僕のその後の人生を大きく変える物になってしまうとは。
 それはまた、いつか…。

 初めから有ると思っちゃいけない「留守番電話」。

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