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【小説】「聖職者の憂鬱」⑤


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 「ここから50キロほどのM市というところにお袋の実家がある。当時、婆ちゃんはまだ元気だった。だから墓参りと婆ちゃんの所に遊びに行くつもりで行ったんだ」
 「まず、爺ちゃんの墓参りからした。『わかば』ってタバコが好きだったから、それ買ってって火つけてさ、箱と火のついたタバコ置いてさ、お祈りしてきた訳だよ。夏休みだし帰ってきたよってな」
 「おい、『わかば』だってよ?知ってっかお前」いかにも小者っぽいやつが、隣の席の奴に聞いていた。丹野貢という生徒だった。ブクブク太っているくせに妙に顔色が悪い。こいつは日常的に喫煙しているのだろう。
 「まぁ、話はこれからだ。爺ちゃんの墓参りを済ませて、そのまま婆ちゃんの家に着いた。元々爺婆っ子だった俺は、小さなの頃から随分と二人に可愛がってもらっていたしな。」
 「ばあちゃんの家は二世帯でさ、ばあちゃんの長男。俺からするとおじさんにあたる家族が一緒に暮らしてるんだ。従姉妹が二人。で、そこに顔を出したらばあちゃんが『今日は泊まっていけ』っていうわけ。じゃぁ、そうするわってその日ばあちゃん家の2階の12畳くらいある部屋で泊まったんだ」
 「その部屋はじいちゃんの仏壇のある部屋の真上にあってな、2階にはおじさんの娘、要するに俺の従姉妹二人の部屋も踊り場を挟んで二つあった」
 静まり返った美術室の中に、俺の声だけが響いた。こんなに声が響くのか。コの字型になっている校舎の向かい側では同じく音楽の授業がおこなわれていて、リコーダーの音が遠く聞こえる。
 「夜も更けて単車の疲れもあったし、寝ることにした。2階の部屋に行くと、ど真ん中に一つ布団が敷いてあった。従姉妹が事前に敷いて置いてくれてたんだ。俺は布団の中に入り込んで寝ようとした」
 ふと見ると、武本は完全に固まり、周囲の連中に目を向ける事も忘れてしまったように俺を一点に見据え、ごくりと喉を鳴らして緊張している。さっきのイキッた様子は何だったんだ、思わず笑いそうになったのを必死に俺は堪えた。

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 要するにこの連中は、「授業」と言うもの「勉強」と言うものに対して、美術などと言う「歌う」でもなく「走る」でもない「副教科」であれば尚更のこと、やるの無い者が多い学校なんだろう。
 真面目な俺からしたら大変不服なところだが、一言も発せず俺に注目し、俺の話を聞き漏らすまいと皆が聞き入ってる事については多いに気分がいい。
 こんな気分が良いのもこれが最後だろうから、この際時間いっぱい話してやろうと言う気が大きくなった。
 「静かな夜だった。風も窓を叩くこともなかったし、まだ7月の頭だったからなぁ。虫の声も聞こえることはなかったんだ」
 「疲れてる筈なのに、どういう訳かそんな日に限って眠れないんだよ。そうこうしてるうちに暗い部屋の中でも目が慣れてきてさ、枕元の窓、足元の方にある納戸の扉やその部屋の扉、右側にずらーっと並んでいる押入れの引き戸がはっきり見えてきたんだ」
 「あー、なんか段々雰囲気出てきたー。怖いかもー」
 山川みちるが横から口を挟んできた。
 「おいっこらっ、ちょっとうるせーぞ!だ、黙ってろや!」
 突然、武本が山川に怒鳴り散らした。俺の方がびっくりするからお前の方こそ黙ってくれ。武本はなお一層身を乗り出すようにして、俺の話に全集中だ。
 「そうなったら、とにかく眠れないんだよ。布団に入ったのは深夜0時を回ったくらいなんだけど、一向に眠れる感じがしない。それでも、こんな田舎でさすがに深夜。出歩く場所もないし、そもそもばあちゃんも叔父さんも従姉妹たちももう寝てるだろうし、何とか寝ちまおうと布団の中で目を閉じ続けたよ。」
 「そうしたらな、やっと眠気が刺してきたんだ。みんなも経験ないか?『あー、俺、もう今この瞬間にも眠りに落ちてしまう。あー、まさにその瞬間が来たーってな、眠りに落ちる感覚」
 「あー、わかるー。あるあるー」
 「だろ。その瞬間なんだよ。丁度深夜の2時前後だった」
 「え?」
 「その自分の意識下なのか無意識なのか分からなくなりそうになったその瞬間に突然、……」
 俺は静かに歩き、美術室の入り口にはめ込まれてある、意外と滑りの良い大きな引き戸の一枚の片端を掴み、静かにそして少しずつスピードと加える力をあげるようにしながら、そして声に出して……
 「カタ、…カタカタ、カタカタカタ、カタカタカタカタ……」
 「ヒェっ」
 武本の声にならない声が聞こえたが、構わず俺は続けた。
 「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタッ!!」
 扉が外れそうになるくらいに音を立てて揺らしながら
 「俺の枕元、頭上にある窓がこんな風に、音を立てて揺れはじめたんだよ。大きな地震かと思えるほどに。でも、揺れてるのは窓だけなんだ。俺はその窓がバタバタ揺れているのにビックリして、布団から飛び出すこともできずにその様子を見てるだけだった」
 「マジかよ、何だそれ……」
 今度は中村琥太郎か。
 面白くなってきた俺は、武本をチラ見した。完全に凍りついていやがる。なんてビビりなんだ。
 憂鬱な気持ちが少し和らいだ。そんな時があってもいい。

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