『アトム ザ・ビギニング』原作・原案 手塚治虫 ゆうきまさみ 手塚眞 手塚プロダクション 作画 カサハラテツロー アニメ感想

おはようございます!
AMAZON_PRIME_VIDEOにて鑑賞しました
多少のネタバレもしますが、ストーリーのすべてを正確に詳細にお書きするわけではありませんことをご理解いただけますと助かります
素人の個人の感想や連想のメモです
この考え方が絶対に正しいと押し付ける趣旨ではありませんことをご理解いただけますと助かります




おなつかしやの
鉄腕アトム

彷彿とする

登場人物たちで始まりますね


お茶の水博士の若い頃かしら
という
御茶ノ水君と

トビオのお父さんであるところの
天馬博士かしら
という
天馬午太郎が

国立であるという
練馬大学の
隅っこの第7研究室という

廃材にかこまれた
小さな建物で
何やら独創的な

しかし
教授会などには理解されにくい
⇒予算が獲得しにくい

研究を
突っ走っている


自我を持つ
ロボットを
作成することを目標としている?

作中では
ドイツ語の
ベヴストザイン(Bewußtsein)

という
ことばで代表されている
自我


この物語の主人公は
エー・テン・シックス
と呼ばれる

すでに
人型であり
二足歩行し
自由に手を使うロボット


えー・てん・しっくす

A・10・6

あ・と・む


だから
アトム ザ・ビギニング

なんですね

作中では
アトム
という
呼称は
出てこなかったような


おばさんの私としてはですね


あたらしいだけではなく

ひたすら
なつかしいんですわ


なつかしい
世代
にひそかに
うけてしまう
要素が満載です

本来的な
ストーリー

素直に
ロボット物ですし

ある種の
勧善懲悪的

そして

天下一武道大会的に
勝ち抜きで

ひたすら
主人公サイドが

勝ち抜いていく
爽快感があります


しかし



キャッチフレーズは

心優しき科学の子

(心優しき ラララ 科学の子・・・試合での
コールで
この
ラララ


挿入されるパターンもありました)


それに

「心を忘れた科学には
しあわせ求める
愛がない」

最初のほうに
御茶ノ水君に
演説させたり


途中で

「心を忘れた
科学には
しあわせ求める
夢がない」

変わったり


もともとは

「心を忘れた
科学には
しあわせ求める
夢がない」

のほうが

じつは
「ミクロイドS」の
主題歌の
歌詞ですね


これは
わたしたち
世代は

じつは
このセリフがこのアニメ上で出る前から
文脈的に
浮かんじゃっているんです

そして
まさに
御茶ノ水君の口から
出てきたので

おお
わかってるじゃん!!

ドンピシャじゃん!!


感動しちゃっているんです


ですから

わかいひとたちには

ただの

きれいごととか
当たり前の
キャッチ―な
フレーズ

聞こえているかもですが

おばさんは

ノスタルジー満載で
涙腺とか
琴線とか

刺激されまくっているわけです


それに
スタジオIGさんとか

最後の
字幕で出ていますから
その影響かどうかは
存じ上げませんが

攻殻機動隊の
世界観にも
似ていますね

大災害で
都市のビル群のど真ん中に
ぽっかり
大穴があいている感じとか

攻殻機動隊では
戦争があったのでしたっけ?


心優しき
科学の子

優れた
AI

搭載されていて
どういう仕組みかは
作中では
明らかにされていませんが
Bewußtsein

というものが
この
天馬午太郎君と
御茶ノ水君の
第7研究室の
独自性らしいです


そして


彼らの
作品である

ロボットのはずの

エー・テン・シックス
通称シックス

自分の視点で
生みの親たち
天馬くんや
御茶ノ水君
そして
その妹や
ガールフレンド
といった
取り巻く世界を
客観的に眺めて
分析しているようです


そして

なにやら
電波的な
通信能力も
搭載されているようで

自分の
判断で

周囲の
機械
ひいては
ロボットたちとも

通信
交信を

試みているようなのです



人間様に
命令されなくても
独自に

自分で
その
必要を感じれば



天下一武道会的な
ぶっこわし
勝ち抜き大会に
出場したときも


最初の方こそ
自分の
身体能力で

相手の
攻撃をかわしまくり

最小限の
なるべく
破壊しない行為で

無力化する

という

「心優しき
科学の子」
ぶりを発揮し


観客たちの
人気を一気にさらっていくし

対戦相手の
オーナーたちも

ファンにしてしまう

魅力ぶりなのですが


最後の

もっとも強いと
みられる


あやしいけど
美人で
(とあるおじさんが転生した悪役令嬢みたいな
金髪縦ロールの
お蝶夫人みたいな感じ)
天才な
ドクター・ロロ

の所有する

マルス
(このネーミングで
おばさんは
ジェッターマルス
というアニメも
連想してしまいます)

はなしがしたい
はなしがしたい
はなしがしたい

厳しい攻撃を
かわしながら
呼びかけつづけ


ほとんど
致命的な
攻撃

胴体部分で
上半身と下半身が

真っ二つに
分離してしてしまうような
破壊を
受けてしまったにもかかわらず


そして

その攻撃を
繰り出した

マルスの側は

ほとんど
無傷であるにもかかわらず


なにか

急に

虚しさを感じたのか?
(虚しさを感じられるということは

マルスの側の
AI

相当
高度なわけですが)


ぱったり
倒れて
動かなくなって


つまり
戦闘不能となったのは
マルスのほう
ということで


エー・テン・シックス
のほうが
優勝してしまうという


意味不明


意味不明ではないんですけどね


一見

意味不明に見えるんです





エー・テン・シックス

作者であり
オーナーである
天馬は

単純に

エー・テン・シックスにも

超絶高速ピストンの
必殺
打撃技

わかりやすい
破壊能力もあるわけですから


その

わかりやすい
破壊

を通じて

対戦相手たちを

ぶっこわして

見た目も
派手に

勝ってほしかったみたいだし


対戦が
進むたびごとに


もっと
派手に
壊せ
的な
檄を飛ばすのですが


エー・テン・シックス
それに
逆らうわけではなく

その言葉の
注文も
かなえるのですが


わざと
曲解して

なるべく
相手の

物理的ダメージが
少ない

しかし
本質的に
勝ちに行く
方法論で
遂行するのです



そして

最後の
マルス
相手に至っては


語り掛けるだけで

機能停止にもっていくという

意味不明さ



鑑賞している
おばさんサイドとしては

種明かし的に

エー・テン・シックス

こころの
つぶやきを

聞かせてもらえていますし

エー・テン・シックス
視点の
映像も
見せてもらっていますから

台詞や
ナレーションに
何もなくても

エー・テン・シックス

何を感じているかは
うすうす
伝わってくるのですが


さすがの天才
天馬君も
御茶ノ水君も


その
エー・テン・シックス
内部の
ことばや
映像を

戦いの
リアルタイムでは
把握していないようで


なんで

エー・テン・シックス

そんな

戦い方をしているのか

そして

なんで

無傷に見える
超絶強い
対戦相手の
マルスが
倒れたのか

分からないわけです


これが


シンギュラリティ


やつなんでしょうか


作中には

シンギュラリティ

という
単語は

出てきませんでしたけどね




そして

天馬君は
天才なのはいいけど
ちょっと
へんくつで
傲慢で

ことばが
きつくて


これだけ
高性能で

相互の被害は最小限で
勝ち抜いていった

エー・テン・シックス

さかんに

「ポンコツ」

いう
単語を浴びせているのです




まるで

子どもの独自性や
才能に気づけない
あほな

のように
…(-_-;)




つまり

子どもは
親の
想像をはるかに超えた
世界に
すでに
移行しているということに


親が気づけていない
ということ



そのアイロニーが


ひどいことをされても
いわれても

一切
怒らない

人間には
特にオーナーである
天馬君には
反撃しない

エー・テン・シックス


ものすごい哲学が

みえかくれする


味わい深い
作品だと感じました



みごたえありました



いつもおつきあいいただきありがとうございます<(_ _)>(*^-^*)




ではまた!




まきのしょうこ




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