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小学三年生の娘のこと。

今の彼女の担任は、一年生の時と同じ先生。
その担任から、支援クラスを勧められた。
入学時より、保護者面談などで話があり存在は知っていた。と、言うより我々親が先延ばしにしていた感も否めない。

学校には毎日楽しそうに行くが、勉強に全然ついて行けてないし、先生の話を聞いていなくて集団行動から外れたりもよくしている。忘れ物が多く、無くし物も多い。
順当に行けば親が先に死ぬし、兄弟も居ないので一人で生活していける社会性や知識は身につけてほしいと思っているので、勧めを受けることにした。

主たる養育者である夫は、豆腐メンタルが年々悪くなっていて、保護者会や面談もなかなか行きたがらない。
今回の支援クラスに入るのも、支援クラスの担任や心理士さん、役所の担当者(臨床心理士)とそれぞれ面談が必要であったが「無理」と言われたので、休暇を取って行ってきた。
似た内容の紙を書き、同じ話を2回する。ワンストップで出来ればいいのに…と思った次第。
ただし私は自分の想いを吐露できて、なかなか悪くない気分だ。(無料カウンセリングちゃうぞ自分)
今年の支援クラス担任は昨年のクラス担任だったからか、娘にも「支援クラス行くか?」と聞いたら乗り気だった。

今度、役所にウィスクの検査を受けに娘を連れて行く。得手不得手が見える化されたら、周りも本人も対応しやすくなるので、期待している。

さて、私から見た娘だが、発達障害やグレーゾーンは疑っていない。だが、客観的に見るとADHDの内の“不注意”という点のみ、突出して当てはまっていたことを改めて認識した。多動・衝動はない。
偏見もないし、正式に診断があれば、本人が生きやすいようにサポートすればいいと考えている。
ただし、これに関して、自身には一つ“恨み”がある。

娘は、7ヶ月で出産した。超低出生体重児だった。
小さく生まれたり、出生時に何か問題があってGCUに入ったりすると、その後、かなり長く経過観察をしていくことになる。
娘も医療器具などは不要なものの未だに服薬や血液検査で定期検診に通っている。
そして、たまに発達の検査もしていた
普段は、簡素な問診・検診のみで、3歳の時に少し時間を割いてクイズ的なのをやった。そして、6歳の時にもう少し大掛かりな発達検査をすることになった。そう、発達検診3年ぶり。

娘は人見知りで、たまにしか会わない発達の先生の前では緊張して黙り込む。内科の先生と比べると無愛想なのもあるから余計にだ。それなのに、この時の発達検査の医師は更に別の先生であった。
そして、検査内容や時間について我々親も認識しておらず、娘に説明してないので、いきなり“はい、検査始めます。親は部屋から出てくださいね!”ってなった時、案の定、娘は1人にされる不安に耐えきれずぐずり始めた。
同室で見守るのはだめか、など交渉してみたが、だめであった…結局、受けずに終わったのだが、その中で医師が娘に放った言葉。

「他の子はちゃんと一人で受けてるのよ?七歳(※)にもなってそれなんておかしいわよね?」
※実は、案内の紙を紛失したようで1年遅く行きました。これは我々親の落ち度。

入室したときから、なかなかに高圧的な雰囲気を醸した医師だったが、子に対するこの言葉かけは「あなたは本当に発達外来のプロなのか?!」と疑問を抱かざるを得なかった。

そして検査を諦めていつもの発達の医師にバトンタッチした時に、問診も検査も何もしてないのにカルテにADHDと書かれた。
ん?さっきの一件でそう断じたの???

そしてカルテにそう書いた割に、支援制度とかについては説明しない。もうね、不信感しかない。
我々両親は、この病院での発達検診は二度と受けるものか、と思ったのだった。

社会人になってから興味があって発達障害の記事や本は折に触れて読んできたから、素人ながらにそんな15分程度のそれで断じて良いものだとは考えていない。だが不信感は別にして、前述した通り、娘の“不注意具合”は半端ない。
私自身が、ADHD傾向のある方とは比較的相性がよく体の良い“リマインド係”に収まりがちなので見過ごしていたかもしれない。

書いてて再認識できたので、今後、それが仇にならない方向性で本人に対策を取らせようと思う。

そもそもは家庭環境要因だと思ってるんだけど、それは今後の我々両親の行動次第かとも思うので、変化があったらまた書くことにする。

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