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『菅原道真』読了

「白紙(894)に戻そう遣唐使」は、実は894年に白紙に戻って(中止されて)はなかったらしい。

中公新書。あとがきにて、一般書を執筆する難しさが語られているが、確かに予備知識無しでのほほんと読むには手強いかも。そうじゃなくて、玉石混淆の新書のラインナップ中でも屈指の「ホンモノ」として評価したい。記述中に出典の論文名が記され、もちろん末尾には150以上の書名・論文名が参考文献として列挙されている。文体は決してフレンドリーとは言えず、読者への媚は皆無であるが、その分論旨明快で安心感がある。これが、修士論文の「副産物」であると言われるのだから、なんだかもう…自分の不勉強ぶりに消えたくなってしまう。
冒頭に挙げた遣唐使の話しかり、時平との対立しかり、それらの俗説が最新の研究では新知見が呈されていると知った。道真の漢詩が簡潔な訳と共に引用されていて、「あ、いいな」と興味が湧いたのも収穫だった。でも個人的に大きかったのは、「詩人無用論」について知れたこと。

貞観八年(八六六。あるいは貞観九年)正月に島田忠臣が詠んだ詩(「春日仮景、同門の友人を訪る」田氏家集・巻上)に見られる「詩人無用」の声は、「儒家」が、菅原是善やその門下生に向けた批判である。…紀伝道は、詩人を養成するのではなく、儒学を基礎とした実務官僚を育てる機関であり、「儒家」と称されるのは、そうした彼らである。…
…儒家自身、紀伝道に入学する際に文章生試の漢詩で合否を判定されている。したがって「試無用」「詩人無用」が、漢詩自体、漢詩を作る漢詩人自体が無用だという非難であれば、儒家自身にも返ってくる言葉となる。…
それにもかかわらず、儒家が「詩人無用」と是善らを非難したのはなぜか。
非難を向けられた中心人物、是善の存在が大きかろう。序章で述べたように、是善は文章博士を二〇年余り努め、官僚を育てる立場のトップに居続けていた。その是善は、天性穏やかで、世俗に関わらず、常に美しい風景を賞でて、詩作を楽しむと評されていた。いかにも詩人といえよう。…そして、その姿勢がプライベートな場だけではなく、公的な場に出たことがあるのではないだろうか。
…つまり、「詩人無用」は、詩や詩人が根本的に無用であると非難しているのではなく、実務官僚である儒家が主張している以上、政治や実務に役立たない詩など無用だという批判だと理解すべきであろう。近年、文学研究は社会の役に立つのか、という批判があるが、それに近いものと考えるべきか。

滝川幸司『菅原道真』中央公論新社、2019年 p43-44

うん、1000年前から変わらんなー。
不要不急な虚学は無意味、と。淋しいね。

本書を読みながら、貫之が漢詩を残してない理由について考えを巡らしていた。こんだけ「詩人無用」と誹謗されて、しかもそれが和製白居易・学問の神様たる道真にも向けられるのだから、漢詩に見限りを付ける気持ちも分かる気がする。と同時に、貫之たち古今撰者の面々が和歌に振り切った時点で、「無用」の世界に閉じ込められる運命でもあったということ。一時的にチヤホヤされても、政界での出世は叶わないし、一発屋で終わって、その後和歌は流行らなくなるかも。そういう危機感が、晩年「若貫之逝去、歌亦散逸(もし貫之が逝去したら、和歌はまた散逸してしまうだろう)」(新撰和歌序)という言葉になっちゃうのかもなあ(実際には勅撰集は後代も編纂され続けるのだけれども、彼の関かり知るところではないし)。うーん、つらみ😢


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