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HSS型HSPのための探していた本当の自分が見つかる!自分の言葉を素直に綴る3つのレシピ

初めまして「ゆう」と申します。
Twitterで「自分の言葉を素直に綴ることで自分らしさを学ぶ」をモットーにHSS型HSPについてを発信しています。
発信しているのは「繊細だけどHSPに当てはまりきらない音や光に敏感で。人と違う私。好奇心いっぱいで度胸もあるからHSPではない気がする」「最近聞くけどHSS型HSPって何?」と思う方にHSS型HSPの性質を知ってもらい、今までの生きづらさはあなたのせいではなく気質によるもの、気質を理解すれば毎日が楽になるよ!と伝えるために発信しています。

本文の前に簡単に自己紹介します。
強気と弱気が混在する、観察・分析が大好きな40代後半のHSS型HSP。
ほどほど都会でほどほど田舎な地方都市在住。
ストレスからの適応障害発症を機に25年務めた仕事を自分らしく生きるために卒業。現在自分らしくいきることを目指し、人生の旅のと中です。

最近のモットーは「人を許せななくても、自分を好きになれなくても、自分を認められない自分でもいいじゃない。ダメな自分を含め、等身大の自分を認めその気持ちをつづる」です。

私はTwitterでは自分のことについて語ることはほぼしていません。他の方へのリプライで語ることはありますが….。
理由は大きく2つ。1つ目は見知らぬ人からいきなり自分語りされて引かれたら怖いから、2つ目は自分のHSS型HSPの発信に私個人の内容を出すと発信軸がぶれそうだからです。

因みにアメブロではがっつり自分の生い立ちを語っています。幼少期保育園時代から適応障害になって退職するにいたるまでを全85話、1つの話も平均1,200字オーバーの超大作。知り合いからは小説だね、面白いけど朝読むのは勧められないなと言われる、クスリもあるけどちょっとヘビーな内容です。
なお、15話ほど専門的な本を元に気質の解説をしたのち、現在はTwitterでの発信内容に解説をつけて発信中。 


Twitterでは2022年11月から本格的に発信するようになりました。

1 Twitter発信のきっかけ

一番のきっかけは当時親交のあった、大好きで尊敬している某女性起業家の一言。2022年6月末に25年務めた仕事を辞めたときの記念にその方とランチをした際「社会の枠、合わなさそうなのによく頑張ったね25年間。次は起業とかどう?向いていると思うよ!」と明るく言われたのです。

そう言えば私のことをよく知る恩師も就職先のことを話すと散々「本当に大丈夫?絶対向かないと思うけど、いいの?」と言っていた….。

そう言われてみれば確かに私、組織向きじゃない。何回も辞めようと思ったことがあるし….。そう言われるなら起業するのもいいかも…。
いやいや私ずっとサラリーマンでしたよ。挑戦は好き、逃げるのはイヤ。でもあくまで勝てるほぼ確実な挑戦が大好きなだけで、不確実・不安定は絶対いやですよ、何より私ごときが恐れ多いと当時は思っていました。

でも紆余曲折があり、やはり起業に挑戦することにしました。

で、まず始めたのがTwitter。今の時代やっぱりSNSでしょ!広く認知してもらうためにはやはりTwitterが一番だということで進められ、アメブロと一緒に始めました。SNS嫌いで「人見知りの人嫌い」の私にしては180度転換です。

なぜ発信をHSS型HSPという、人口6%の人が対象のマイナー部門にしたのか。その理由をお話しします。そもそも社会に合わずずっと生きづらさを抱え苦しんでいた私に、自分がHSS型HSPだと教えて救ってくれたのがTwiterのHSS型HSP向けの発信。仕事でつらいとき読んで支えられていたのもTwitterのごーどさんやももさんの発信。それなら発信は同じように悩む人を励ますことができるHSS型HSPについてでしょう!と決めたのです。

2 人生の生い立ち概略

私はHSS型HSPのため、内向的なのに刺激を求め、人と同じであることを望みながら、それと同じくらい強く人と違うことを強く望んできました。本心が人と同じであることを嫌うのだから、同じであれるわけはありません。でも、人と同じであれない自分を嫌悪しつつ望むというこじれまくりの人生を歩んできました。
実はこれこそがHSS型HSPの苦悩なのです。特性を知った時は涙しました。
私は気質的に観察・分析が好きで人の気持ちを読むのが得意。周りから浮かないよう、うまく合わせて必死に自分を守ってきました。そのかわり自分の気持ちは基本抑えっぱなしです。他人優先、自己犠牲が当たり前。ふと気付くと人の期待に応えることに慣れすぎて自分の気持ちにすっかり迷子になっていました。
退職を機に自分と向き合い、2022年11月から本当の自分のことをつづる旅に出発しました。

その歩みをお話しします。

小さい頃から周りと違っていて、保育園ではお絵かきの時間にピンクのライオンを描いたり、他にも独自なトーテムポールを作ってみたりして、園の先生を心配させる子どもでした。総じて幼少期は、男の子と外で遊ぶのが大好き。でも絵本を読むのも大好き。三輪車を乗り回すのが大好きで自分大好き!活発で天真爛漫な愉快な子どもでした。

今となっては別人のよう…。

この活発・天真爛漫さも小学校に入ってからはだんだん陰を潜め、一人で本を読むのが好きな大人し目な子に変わっていきました。勉強問題が発生したのです。そして人と違うことからいじめられるようになりました。小学校、中学校、高校、就職してからも断続的ないじめられっ子。
ただ、小学校の高学年から勉強ができるようになり、明るさと活発さを取り戻しました。

中学・高校では勉強の壁にぶち当たり苦しみ、容姿へのコンプレックスもあり、再びすっかり内向的な大人しい子に….。もっとも学級委員長の不条理さにプチ犯行することもありましたが。同級生の友達とも精神年齢があわず、学校が苦痛でした。本音を出さない習性を身につけ、内向性が強くなり活発さや快活さが喪失したのもこの頃です。今思えばリアリストで世の中を斜に見る暗い時代でした。

なぜ私の小さい頃にはあった活発さや快活さが消え、自分大好きだった私が自分大嫌いな自己否定がデフォルト、自信のない子に変わっていったのかをお話します。

それには私の家庭環境が大きくかかわってきます。
私の家のことを少しお話しします。

私の両親は晩婚だったため同年代のお父さん・お母さん達より年が上でしたが、当時としては考え方がかなりリベラル。親の信頼を裏切らない範囲なら基本自由、子どもの自主性に任せてうるさく言われることは余りありませんでした。おかげで私は後に強味となる独自な思考や感性を育むことができました。

両親は当時としてはまだ珍しい4年生の国立大卒。母は中学校で英語の先生。父母どちらの親族もかなり学歴重視系でした。このため、小学校低学年より勉強らしくなってきた3年生ごろから父との間に溝ができ始めました。
平たく言うと、私は勉強ができない子だったのです。
勉強も好きではなかったので成績もイケてない、しかも内向的で当時の担任の先生に嫌われていたこともあり成績表の生活態度欄もはかばかしくない評価がオンパレード。父にとっては頭の痛い子でした。
父は勉強のできない私に対し、だんだん冷たくなっていきました。当時は両親共働き。ちょうど父も健康を害したり、祖母や伯母の体調が悪かったこともあり、父も気持ちに余裕がなかったのだと思います。勉強ができない私を見るのがつらかったようです。周りの子と変わっている私の行く末を心配して勉強ができるようになって欲しかっただけだと今ならわかります。ですが当時は子ども過ぎてわかりませんでした。

私にはぱっと見美人風な姉がいます。姉は小さいときから嫌がらず私のことを面倒を見て遊んでくれました。思い出してもありがたさと尊敬しか浮かびません。大好きで大嫌いな姉。姉のことは尊敬していますが、長く私の一番のコンプレックスの源でした。姉はほっそり、絵も習字もうまくピアノも上手、勉強もできました。つまり「優秀」だったのです。優秀でお女の子らしい姉は父のお気に入り。

加えて親戚も父方の祖母を始め学歴偏重気味。絶えず優秀な姉と比べられ、私の自己肯定感は谷底を通り越してマリアナ海峡でした。

小学校の4年生までは学校でも家でもいじめられ心がおちつかず、勉強どころではなかった私。5年生のとき母が私のこと・祖母のこともあり仕事をやめたこともあり、精神的に落ち着いた私は5年生から勉強が好きになりました。
そこから後は、勉強が好きな子供になりました。苦手な数学も分かるまで先生や塾の先生に質問し続けるなど、負けず嫌いによる努力の甲斐もあり、いつも成績はそこそこ上位、進学先も就職先もそこそこで、世間一般でいう優秀な部類に入れていました。でもいつも姉には及びませんでした。
親戚も両親の知り合いも大体セットで私たち姉妹の様子を話題にするので、「姉妹そろって優秀だね」と言われるために必死でした。おかげで私の目標は届かない姉。だから私にとってはできるのが当たり前、常に自分より上の存在がいたので自分を認められないのです。

そしていつしか「自分を認められない」は「誰が見ても」「みんなから」認められなければ自分の価値を信じられないという価値感へと変わっていきました。

HSS型HSPのHSPの繊細さのため拗れっぷりが複雑です。一度心配すると妄想が肥大し、どんどん自分を追い詰めるのです。特に私は反論を一切許さないほど自分を追い詰める傾向が強いです。
職場でよく助けてくれた隣の係の係長から「それだけ自分を責めたら、つらいだろう。自分がかわいそうだろう」と驚きたしなめられたほどです。

代表的な追い詰めエピソードをお伝えします。
中学のとき、当時ぽっちゃり目な私はほっそりした姉と比べられたことがきっかけで拒食症になりました。受験ストレスや人間関係のストレスも手伝い過食もあわせて発症。体重も30キロ代になり生理がとまるほどでした。当時心配した姉のおかげで目が覚め、自力で立ち直りました。その後も就職してから最初の1年は過度のストレスがたまると自分を追い詰めすぎ、過食し食べ吐きを繰り返し精神のバランスを保つことが数回ありました。

就職してからは、最初の3年間、職場の権力者の女性と先輩職員ににらまれ結構ないじめにあいました。特に1年目のいじめが酷く、調子を崩して休むとその間に書類をあさられ、心はボロボロ、人間不信すれすれになりました。影響のない些細なミスもつつかれる。完璧にできていないことは恐怖でしかない時代でした。2年目以降仕事ができるようになり、いじめることは得策ではないことを示せるようになると、いじめられなくなりました。

その後も仕事ができるようになると、何度かいじめられました。力こそすべて。いじめをはじき返すには、誰からも異論を許さないくらい仕事を徹底してできるようになるしかありませんでした。

もちろん、途中には心ある人や温かい仲間に恵まれ、楽しく充実した時間を過ごしました。助けられ励まされたおかげで苦しくても、25年間勤めることができました。

この負けず嫌いで研究好きから仕事にはまり、人の分も働き過ぎでオーバーワークが常。その上、仕事に自分の存在意義を求めていた当時の私は、完全なワーカホリックでした。

コロナ禍でストレスをうまく発散できず、家のこともいろいろあり疲労がたまっていく中、最後の職場に異動しました。
HSS型HSPは基本繊細なので音が苦手です。また人が近くにいる環境も落ち着かないので苦手です。この合わない職場環境に加え、上司とも相性が悪く初めての業務の繁忙期も重なり、我慢しすぎで頑張りすぎました。

自分の存在意義を仕事に依存した私は眠れない日が続き、とうとう適応障害になりました。自己肯定感がどん底レベルにまで落ち、仕事のクオリティも落ちました。大好きな仕事の質が落ちるのが何よりつらかった。

このまま今の仕事を続けると確実に壊れるのは確実で、その現実から目を背けることはできないくらいひどい状態でした。壊れてしまう前に私は仕事を辞めることにしたのです。自分らしく生きたいと思ったのです。

退職後、今まで我慢していた外出をしたり趣味に没頭したり楽しい日々を送っていました。ですが、なんだか逃げている気がして落ち着かなくなりました。負けず嫌いと、HSS型HSPの中の本質を見抜く資質が目を背け続けることを許してくれませんでした。仕事を辞めたこと、自分の人事異動を気にして自分を大切にしなかったこと、自分を裏切り上司の扱いに甘んじたことが情けなくなり、自己肯定感がどん底レベルにまで落ちました。そんな時です。ふと久し振りに答えを探してぼんやり見たTwitterで、HSS型HSPの発信を見つけたのは。

「これ、私…」目の前に光がさす、そんな経験でした。
そこから夢中でその方の発信を読み漁りました。

このTwitterの発信のおかげで、私は自分だけが特別におかしいわけではなく、気質によるものだったと知りました。長年のもやもやが晴れ、救われました。

3 Twitter発信を始めてから

私のTwitterの最初のアイコンはニワトリ。急にTwitterを始めることにしたのでアイコンへの知識など全くなく、熱田神宮の御神鶏と言われる野良鶏の写真で、急ごしらえでした。その後イラストのアイコンは、この写真を踏まえて可愛い鶏のイラストに。鶏はチキン、臆病者に通じます。HSS型HSPは相反する気質「大胆で心配性なチキン」なので、ぴったりだと思ったのです。

そんな私なのでTwitterを始めてからも、フォロワー数が伸びなくて落ち込むことがよくありました。幸い「いれぶん塾」というコミュニティーに入ったおかげで温かい仲間に出会え、支えられ、今まで続くことができました。

①Twitter運用初期

ゼロからのアカウントスタート。最初はいいね!なんて付かないし、1ヶ月くらい一桁の日々が続きました。ようやくいいね!がつくようになっても10代が限界。かたやコミュ二ティの同期の仲間達は着実にいいね!をたくさん積み上げ、フォロワーも増やしています。正直焦りました。落ち込みました。

そんなある日、転機が訪れました。リツイートをしてくれる方が現れたのです。しかもその方は私が大好きなツイートをする方ではるか雲の上の方でした。それを見た時は涙が出ました。

これを期に少しずつリツイートしてくれる方が増えていきました。嬉しくてたまりませんでした。初期リツイートをしてくださった方々の名前は今でも全員覚えています。

その後、Twitterを伸ばすために研究を始めました。もともと分析が好きだったので法則を見つけるのは楽しかったです。アドバイスももらい運用したところ、いいね!も11月の下旬には10代半ばを推移、多い日は20代、30代になりました。12月は30代をうろうろ。

そんなとき、記念すべきブレークブレークスルーが訪れました。クリスマスにしたツイートです。

この日はTwitterの不具合により、多くのインフルエンサー級の方でさえもツイートが朝から表示されないなど異常事態でした。イブに全くクリスマス色のないツイートをしてしまった私は、タイムラインにあふれる幸せいっぱいなクリスマスツイートを読み、挽回したいと思いました。

25日はクリスマス。イブの翌日の日常をつぶやいて共感をとろうと渾身ツイート。当たりました。そのころには平均いいねが30代後半~40代だったのですが、一気に110いいねがついたのです。もっともそこからしばらくは少し下がりましたが、そこからいいね!も100を超えられるようになりました。

それから1月5日にもう一度ブレークスルー。このとき初めていいねが確か180代?後半を取りました(記録がちょっと不正確。とにかく全てが過去最高。インプもすごかったです。)それ以降順調にアカウントも育っていきました。


そして、2月11日には記念すべきフォロワーの人数が777に到達することができました。ここまでほぼコミュニティーの応援の力に頼らず、応援してくれる方と仲間の力で到達できたのは、私にとって自信に繋がりました。

また、このころアカウントが伸びたきっかけの一つに、万垢のインフルエンサーの方にフォローしてもらえたことがあります。やはり「この人がフォローするのだからきっといい人に違いない」と思わせてくれる力は絶大だと改めて思いました。

②まさかのスランプと発信の迷走と迷い

順調にアカウントを育てていったのですが、ここで迷いが生じました。
ツイートを会話調にしたら親しみやすい印象のためフォロワー数やコメント、いいねは増えました。同情のようなコメントをもらうようになったのです。もちろんコメントをくださった方に悪気がないのは分かっています。貴重な時間を割いてコメントをしてもらえること自体ありがたいのですが、ただやはり病気や同情のようなコメントは読んで傷つきました。

そして、だんだんツイートするのが苦しくなっていったのです。
2023年2月の中旬にはHSS型HSPの発信を辞めようとも思いました。3月15日まで発信軸がメンタル系ないい話的なものに迷走していたのもそのためです。確かにコメントで悩むこともなくラクになり、いいねも増えました。でもフォロワー数はずっと伸び悩みました。原因がわからず悩みました。

③発信への原点回帰

そんなある日、ある方に現状を話したときのことです。悩みを一通り聞いてもらい、私の発信の迷走を惜しむ方がいることを教えられ、原点回帰を勧められました。私を悩ませたコメントが生まれたのは文体の問題でした。柔らかい文体のためツイートが弱くなっているからだと指摘されたのです。

3月17日に文体を柔らかい会話調が多かったツイートから元の私の文体に戻しました。迷いない気持ちで投稿したところ、前日87だったいいねもその日は200代を記録しました。伸び悩んだフォロワー数もいいねも再び増えるようになりました。
改めて私のHSS型HSPとしてのツイートを読んでくださる方がいるのだと認識できた瞬間でした。

④Twitterは心を整え、メンタルを成長させる最高ツールである

Twitterを辞めたくなったことは何度もあります。Twitterは楽しい反面、趣味としてではなく、業として発信することにすると厳しい世界です。そもそも基本毎日決まった時間での投稿が基本です。(体調不良のときはムリせず休んでます)いいね、フォロワー数などで自分の発信価値が可視化され、しかもインプレッションやブックマーク数の表示により、ツイートの価値提供への評価が晒されます。
自分が伸び悩む中、同軸の仲間で伸びている人や、自分よりフォロワー数が少なかった人に抜かれる現実も容赦なく突きつけられます。Twitterはそれなりに時間も手間もかかるので、実生活が忙しく投稿を辞めた仲間もいます。

私の気質HSS型HSPは完璧主義、人からの批判が苦手。しかも私は前職で完璧主義の呪縛に捕まり、いまだに完全には解けていないと感じています。失敗と批判を極度に恐れる私が、なぜ続けられたのか。それはそこに学びと自己成長の鍵があったからです。

以前発信軸に迷っていたときに、「Twitterを続けることで心が整った。心が揺れがちな人にはオススメ。絶対頑張って続けたら世界が変わるよ」とアドバイスをくださった方がいました。
その方のみならず、フォローしているメンタル系の発信をされている方々も軒並み「Twitterをして心に余裕が生まれた、見える世界が変わった」と言われています。
その境地に私も立ちたいと思ったのです。約7か月続けた今振り返ると、その方達が言われたことは本当だったと思えるようになりました。

効能①失敗してときの立ち直りが早くなる。
今までは些細な失敗にずっとくよくよ悩み「イヤな記憶のリバイバル上映」もやって自分にダメ出ししてきました。今は誤字があったり(見落とすのです、お恥ずかしながら。後から気付いて悶絶してます)、予約投稿を忘れても以前ほど自分を責めなくなりました。責めず気持ちを切り替えるようにしました。落ち込むことにかける時間が惜しいので。それを気にしていたら進めないのです。

効能②メンタルの発信をされている方からの学びがすごい。
批判してくる相手、苦手な相手との関わり方、傷ついた時の気持ちの向き合い方、やめた方がよい思考の仕方をリアルな声で毎日学べます。しかも無料。自分を大切にする考え方の学びや気づきはすごいです。

効能③平気になる力がついてくる
Twitterの始めの頃に比べ、いいねの数に一喜一憂しなくなりました。もちろん、独りよがりにならないためいいねの数は気にします。ズレていたならどこに原因があるのか考えます。
フォロワー数を伸ばす人を見ても、人は人、自分は自分、追うべきは自分と思えるようになりました。もちろんまだ100%ではありませんが…。そうならなければ自分を見失い、潰れてしまうからです。これも訓練でした。

攻撃的なリプに対しても、まだ一瞬泡立ちますが、あーそういう考えもあるのねとミュートできるようになりました。これは今までできなかったことです。一歩一歩着実に今までできなかったことができるようになれました。


効能④迷う時間が減る
Twitterは手間がかかります。ツイートを作りリプを返し、他の人のツイートのリツイートやリプ周り…。時間は24時間、Twitterに割く時間は限られます。Twitter運用している方は決断が驚くほど早いです。リプも即気が利いたものをされています。この点はまだまだですが、普段から交流のある方であっても相手の気持ちをつい考えすぎてしまいます。初めて交流する方へのリプはさらに気を使います。考え過ぎて遅筆な私も、以前より迷う時間をだいぶ減らすことができました。


効能⑤普通にしていたら出会えない出会いがある
Twitterは年齢、職業の区切りがありません。おかげで普通の生活をしていたら接点がまずないであろう人と繋がることができます。実際にそういう方に会ったりzoom等を通じて話しをして得られた学びは得がたいものです。


効能⑥半ば強制的に継続の習慣が身につく
毎日同じ時間の継続がTwitterの基本です。もちろん、体調によったり朝ツイートを作成して間に合わず遅れることもあります。継続することができるとフォロワー数も増え、それは自分の頑張りの軌跡なので自信につながります。


効能⑦自分を認められるようになってくる
最近自分を俯瞰して見られるようになってきました。発信を通じて自分を知り、自分を認めることができるようになってきたおかげです。前より「ダメな部分」の許容範囲が広がりました。


⑤まとめ

長くなりましたがこれが私がTwitter「自分の言葉を素直に綴ることで自分らしさを学ぶ」で伝えている理由です。
私もまだまだ成長途中。自分のことを以前より知ることができ、好きになり認められるようになれたのはTwitterのおかげ。精神面は本当に成長したと思います。
Twitterはインプットアウトプット両方することを求められます。心の余裕がないと思える人にこそ自分を知り、成長できるツールです。
Twitterに興味がある方、一緒にTwitterを楽しんでいきませんか。きっと新しい自分に出会えます。


「自分の言葉を素直に綴る3つのレシピ」を最後までお読みくださりありがとうございます。
退職を機に自分と向き合い、2022年11月から本当の自分のことをつづる旅に出発しました。そしてTwitterに出会い「本当の自分」を見つけることができ心から応援しあえる仲間にも出会うことができました。

HSS型HSP特有の他人優先、自己犠牲が当たり前。ふと気付くと人の期待に応えることに慣れすぎて自分の気持ちにすっかり迷子になってる「人生」からここまで違う景色を見れるようになったのは、間違いなくTwitterのおかげです。

お読みいただいた方の中で、今までは読む派だったけどTwitterを発信しようと思った方、最近始めたけれど今ひとつ勝手が分からないと思った方に、私のしくじり込みで学んだ「Twitter運用」をnoteを最後までお読みくださった方にお伝えしたいと思います。

ゼロから右往左往、簡単なことも手探り、基礎過ぎてTwitter運用について発信されているツイートにも載っていない、ちょっとだけ聞きたいだけだからがっつりコンサルまで受けるのはちょっと….という方におくりたい内容です。私がまさに聞きたかったこと・知りたかったことです。

たまたまご縁に恵まれてアドバイスを受けたり、卓越した文章力や有益読者プレゼントやスペース出演とか一切なしに、細々マイナー軸で発信してきた私がフォロワー1,300名様になれたのは、先達のおかげ。私ごときが1,000人なんて恐れ多い。。。と思った初期の頃、励ましをもらってノウハウをご厚意で教えていただきました。

途中で苦しくなってやめる方いるので、もったいないです。これから副業を始めようと考えている方、自己成長ツールとして興味がある方がよりラクに楽しくTwitterを楽しめるよう、お返しをしたいと思います。

フォロワー1300人に到達できた私の今までの経験からTwitterの運用上やってよかったこと・やらない方がよかったことなど、分析フェチで分析が得意な「HSS型HSP」の私にしか見つけられなかった「HSS型HSP」がTwitter運用で成功する秘訣をプレゼント。なお、プレゼントは「人数限定」です。

下記の画像をクリックして受け取ってくださいね!

自分で発信するようになると今までとは違った世界が見えてきます。あなたのTwitter運用が軌道に乗り、Twitterを通じて人生をより楽しめるようになるお手伝いができれば幸いです。



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