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"本当の自分"って何だろう?

 "あなたが今、目の前の人に見せている姿は、本当の自分の姿ですか?"

 もしこんな問いかけをされたら、人々は何と答えるだろうか。「何言ってるんだ、本当の自分だよ」と全肯定する人もいるかもしれない。だが、例えば家での自分=本当の自分だと思っている人は、心の中では、本当の自分ではないと否定してしまうかもしれない。

 私は家から一歩外を出ると、接する人それぞれに対して態度が変わってしまう。単に他者とのコミュニケーションが少し苦手だからということもある。しかし、ある程度仲の良い友達でも、人によって態度を変えてしまうのだ。断っておくが、八方美人的なそれではない。"相手が認識する私のイメージ"になりきっているというわけだ。

 少し前、学校の社会心理学の授業で、"人は親しくなりたい相手には 『自己開示』 (自分の個人的な情報を伝えること) を積極的にする" と習ったが、私もこれと似たようなことを無意識にしている。自分と似たような性格を持つ相手なら、自分の弱みなどをきっと分かってくれるだろうと思い、その人に個人的な失敗談などを打ち明け、仲良くなろうと頑張る。反対に、あまり自分のことを理解してくれなさそうな相手には、自分に関する情報をあまり言わない。自己開示の度合いを、人によって変えてしまっているわけだ。

 私がなぜ、"本当の自分" にこだわるようになったかというと、"私の1番最悪なともだち"という、NHKの夜ドラを見ているからである。主人公のほたるは、自分が恋人に見せている姿が仕事の時の自分の姿と同じであり、本来の自分の姿ではないことに気づき、恋人と距離をおいて自分を見つめ直すことにした。この恋人はかなりのハイスペックだったため、ほたるは自分を少しでも良く見せようと必死になり、気を使いすぎてしまったのだろう。

 このドラマを見ていて、私も本当の自分を隠して生きていると感じた。確かに、社会において、ある程度自分を抑えるのは必要だ。しかし、私の場合、新しいコミュニティに慣れるのが非常に遅く、いつまでも本当の自分を出せない。他者も上辺だけの私しか知らないのだ。「それじゃあ本当の自分って何なんだよ」と思われるかもしれない。家で家族に見せている姿が本当の自分なのだろうか。でも、家族ほど身近な人の前だと、何だか照れ臭くなるから物事に真面目に取り組む姿を見せたくないと思ってしまうことがある。外ではある程度は努力する姿を他者に見せるのに。この場合は、外での自分≒本当の自分である気がする。では、本当の自分はどこにあるのだろうか。

 私は、本当の自分は、自分の中で過去、未来の自分と対話する時に姿を現すと思う。「あの時ああすれば良かったな。」とか、「今度あの人にこうやって話しかけてみよう。」とか、過去、未来の自分と今の自分とが対話する時、本当の自分になれるのだと考える。

 しかしながら、本当の自分を他者に完全に見せるのは不可能だとも思う。本当の自分と他者に見せる自分が限りなく似ている人はいるかもしれないが。時折、明るくて、人気者で、健康そのものだった芸能人が自殺をしてしまうことがある。私たちがその芸能人の死に驚くのは、当たり前だがその人のほんの上澄みの部分しか見ていなかったからだろう。その人が秘める本当の自分はどんなものだったのかは知る由もない。

 ドラマの話に戻るが、ほたるが本当の自分を大切にしたいと思ったのは、仕事での自分を続けるのが辛かったから。このことから、人は、時折本当の自分を他者に見せ、受け入れてもらうことで、自分を保っているのだと考えた。芸能人の場合は、自身のポジティブなイメージがあまりにも強すぎると、それを邪魔するネガティブな本当の自分を上手く出せず、抑圧し、限界になってしまうかもしれない。

 他者と接する際、普段と態度を変えてしまうのはしかたがない。けれども、あまりにもいつわりの自分を演じ続けると、他者に見せる自分が本当の自分を殺してしまう。だからこそ、時折本当の自分を解放してあげることが、生きて行く上で大切だと思った。

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