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web3は我々の生活をどう変えるのか?

先日、abemaニュースで、自民党の平議員が、web3について語る動画を見ました。

 平さんのweb3への深い理解に、感銘を受けました。

しかし、それと同時に、彼の明瞭で簡潔で、非常にわかりやすい説明をほとんど理解できないスタジオとの空気間が、今の日本の現状を表しているようで、今の日本の置かれている現状に、よりこれまでよりも一層強い不安を覚えた動画視聴になりました。実際の動画はこちらです。

これを見て、一つ気が付いた事があります。

 それは、”実は、若者(20代~30代)も、ほとんどweb3の本質を理解できていない。”という事実です。

 若者は、バズワードには敏感ですので、「web3」「メタバース」「NFT」というキーワードには敏感に反応しています。

 しかし、スタジオの大変意識の高そうな若手経営者の方々の質問を見ても、本質的にweb3がどのような未来を創造していくのか?について、全くもって、イメージができていない事が伝わってきました。

 もちろん、このスタジオに来ている人達だけを見て、判断しているのではありません。

 twitterの発言などを見ていると、10代後半~30代前半の若者の間で、web3関連のツイートは、2022年の6月現在は、ほとんどがSTEPNの動向や、NFTについての話題で埋め尽くされています。

 私は、STEPNなどのいわゆる「●●to earn」やデジタル絵画としての”NFT”を中心にWEB3を語る人は、本質的なWEB3を何も理解していない人だと判断しています。

 ●●to earn や、デジタル絵画としてのNFTは、web3の本質からすれば、ある意味、曲解です。

 web3をイメージさせるものとして、こういった本質から大きくずれたものがバズワードとして、顕在化することで、若者の間で、web3がとてつもない誤解を生み、それがアンチweb3のような存在を生み出し、彼らの間で分断を引き起こしている印象を持ちます。

 私は、web3の本質は、この動画においてEXITのりんたろーさんの発したし質問が、その全てだと思っています。

つまり、
「web3は実際に我々の生活をどう変えるのか?」

ここに、今後のweb3の理解を広めるヒントが凝縮されていると思うのです。


web3によって、世界はこう変わる

この動画の中でも触れられていますが、イーロンマスクが、

「誰かweb3を見たことある? 僕は見つけられない」と発言していますね。

 イーロンマスクのような人ですら、web3の本質は理解できていないことがよくわかりますね。

 だからと言って、「web3が抽象的で、定義がはっきりせず、あいまいなもの」と片付けてしまっているのが、今の多くの日本人の意識なのではないでしょうか?

 結論から言えば、web3の本質は、私のブログで再三力説している、
「価値の流動性の革命である」という事に尽きます。

これを理解することで、web3をはっきりと輪郭のあるものとして認識できるようになります。
 つまり、その時点で少なくとも、この当時のイーロンマスクの理解を超える事ができるようになります。

 この「価値の流動性」については、すでに私のブログで数記事にわたって説明していますので、今日の記事では、少し角度を変えて説明したいと思います。

 つまり、web3の本質である「価値の流動性」を今日の本題である、「web3によって、我々一人一人の人生や生活がどのように変化するのか?」というテーマで説明していきます。

我々一人一人の生活がどのように変化するのか?

「あなたは、自分にどれぐらいの価値があると思いますか?」と私が誰かに尋ねると、

「私は、年収が500万円なので昇給を少し見込んだ上で、残り生涯であと、20年働くとして、ざっくり1億2千万円程度でしょうか?」

 こんな答えが返ってきそうですよね?

価値と聞くと、今の世の中では、ほぼ必ずお金に換算していくら?という返答になるでしょう。

 なぜ、なんでもお金(フィアット)に変換してしまうかと言えば、現状の世の中では、お金が絶対的で唯一の価値を測る事のできるモノサシであると、ほとんどの人が考えているからです。

 そのため 「あなたの価値 ≒  あなたが提供できる労働価値」 という図式にどうしても落ちいってしまいます。

 しかし、あなたの価値は、本当に労働価値だけなのでしょうか?

きっと、お金には換算できない、色々な魅力をあなたは沢山持っていますよね?

 例えば、あなたの将来性という魅力(価値)はどうでしょうか?

現状の世の中では、あなたがいくら将来性を持っていたとしても、それを今すぐお金に変換する手段は、無いに等しいと言えるでしょう。

では、web3が広く浸透した世の中では、どうでしょうか?

例えば、あなたは、サトシという名前だとします。現状のサトシ君は、何の実績も、結果も残していない、「将来性は豊かだが、何も持っていない人」です。

 そこであなたは、サトシトークンを発行し、IDOしたとします。そして、web3上のとあるプラットフォーム内で、自分の将来性をアピールします。

 すると、あなたの将来性に魅力を感じた人がサトシトークンを購入し、あなたは、発行したトークンの変わりに、その購入金額の一部を手にします。

 つまり、あなたは「将来性」というこれまでは、現金化できなかった価値を、トークンを媒介してお金に換算することが出来るわけです。

これを聞くと、「それって、株式会社の株とおんなじじゃん」と言われるかもしれません。

 そうですね、構造はほぼ同じと言っていいでしょう。

web3が浸透すれば、現状の株式のような仕組みが、個人単位でできるようになるでしょう。

 ではなぜ、これまではそれが実現できなかったのか?

その答えは、「これまでのお金(フィアット)は、流動性が悪かったから」という事になるでしょう。

 以前も書いたことですが、これまでのお金(フィアット)は、お金を造る、流通させる、検証する、保管する全てにおいて、コストがかかりすぎていたのです。

 そのため、小さい単位の価値の交換の手段には、使えなかったわけですね。

 実際、株式会社と名乗っていても、実際にその株が、一般の人に売買されるのは、その中でもごくごく一部の上場企業だけですね。

 これまでのお金(フィアット)で、株式のような価値の交換システムを実現できる最小単位が、上場企業だったという事になります。

 小さい規模の会社の株では、こういった一般の人が投資するには、その維持、管理においてコストがどうしても見合わなかったわけです。

 そのため、どれほど将来性のある株式会社であっても、会社の規模が小さいと、これまでの仕組みでは、出資金を集めるような事は出来なかったのです。

 web3の浸透する世界では、これが個人単位、あるいは、もっと細かい単位でも、実現が可能になります。

 例えば、あなたが一つ面白いギャグを思い付いたとしましょう。
 
 「このギャグは絶対流行る」と確信したのなら、そのギャグを電子データにして、NFT化します。

 もちろん、それは音声でも、動画でも、イラストでもなんでも大丈夫です。

 このNFTの所有権を、共同で保持する権利をトークン化し、そのトークンをIDOをすれば、このギャグの権利の一部を購入することが出来るようになります。

 ギャグが流行れば流行るほど、そのトークンの価値は上がっていくという事になりますね。

 このギャグの例の場合、現状の経済で言えば、ピコ太郎の「アッポーペン」の動画のように、動画を上げて、そこにバナーを貼り、再生回数を稼いで、ようやく広告収入を稼ぐという手段しか、現金化ができません。

 youtubeはご存じのように、少なくとも合計の再生時間が4000時間以上ないと、一円も広告収入を貰えません。

 なぜなら、動画を作るクリエイターとそれを見る視聴者の間に、googleという企業、広告を出す企業、お金(フィアット)という物が間に入ってようやく、価値の交換が実現できる仕組みだからです。

 これでは、動画のクリエイターが、その動画の本来の価値を受け取れているとは到底言えない状況だと思いませんか?

「価値の流動性の革命」の本質とは?

先ほどは、web3による価値の流動性が、具体的に我々一人一人の生活をどう変えるかを具体的な一例を少し上げました。

 しかし、これら具体例は私のようなノミ程度の脳みそでも思いつくような、本当にごくごくほんの一例なのです。

 広い意味は、この価値の流動性の革命がもたらす無限の可能性は、想像もつかないような広がりを見せる事になるでしょう。

web3が浸透することで、我々の身の回りにある、全ての価値の流れは劇的に変わっていきます。

 数学の歴史に例えれば、これまでの世の中は、お金(フィアット)という自然数のような飛び飛びの値しかないモノサシを使用して、経済を成り立たせていたようなものです。

 つまり、狩りや狩猟の時代のように、狩ってきた獲物を1匹、2匹、3匹と、数えるような事にしか数字を使えていなかったような時代と考えてもらっていいでしょう。

 しかし、web3の登場により、あらたな数の単位が見えてきたわけです。
今後は、0.0001のような少数や、1000分の1、1億分の1、√2など、ほぼ有理数の全てを扱えるような、細かい価値の単位までを交換できるような世の中になるわけです。

 今はまさに、狩猟の時代から、土地の大きさや、収穫物の重さをはかるような農耕の時代への転換期とでも例えられるような時期でしょう。

 狩猟時代の人間が、現代の我々の生活を想像すら出来なかった事と同様に、web3が織りなす未来がどうなるかは、残念ながら、現時点で我々がその全てを想像することは不可能でしょう。

 しかし、わからないからと言って、思考停止に陥る事ほど恐ろしい事はありません。あるいは、「web3など、実体のない夢物語だ」などと言い訳をして、見て見ぬふりをするのも論外です。

 web3時代に国境はありません。こうやって、この数千年に一度の大変革に乗り遅れた人々に乗れる人と、そうでない人は、恐ろしい程の格差が生まれる事になるでしょう。

 日本人全体がそうならないために、平議員のような政治化が立ち上がった事は、「日本も捨てたものじゃないなと思わされる」出来事です。

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