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昔の名曲を歌い続ける難しさ

ポルノグラフィティの「ジョバイロ」にハマっている。ずっと昔から知っていて好きな曲なのだが、常日頃から聴いている訳ではない。大体3年周期で、ジョバイロが無性に聴きたくなる時期が私にはやって来る。今がその時だ。そして数ヶ月後にはフッと聴かなくなる。そういう私の「3年周期で聴きたくなる曲」の箱にジョバイロは入っている。

ジョバイロは2008年にリリースされた曲だ。もう16年も前の曲になる。世間では懐メロに分類されているかも知れないが、ライブでは依然として歌われ続けている。直近のライブでも演奏されていた。

ファンからすればもちろん、昔の名曲を変わらず披露し続けてくれることは嬉しいことだ。しかしアーティストの視点からすれば、これってめちゃくちゃ凄いことなんじゃないかと最近思い始めている。

私たちファンは単なる受け取り手に過ぎないので、昔の名曲は「良いもの」として自分たちの中で変わらず在り続けている。昔好きだった曲が最近になって急に嫌いになった、なんて話は聞かない。むしろ懐かしさも相まって、久しぶりに聴いたら当時よりも好きになった、なんてこともあるだろう。

それでは作り手であるアーティストも、昔作った名曲に対してファンと同じ感情を抱いているのだろうか。
長年活動しているアーティストであれば、年々そのスタイルは変化と進化を繰り返している。昔ノリノリで作った曲が、今聴いてみるとスタイルが違い過ぎてどうも受け入れられない、なんてこともあるんじゃないだろうか。「歌詞が良い!」と評価されている昔の名曲も、作った本人からすれば「今聴くと歌詞が幼稚すぎる」「できることなら書き直したい」と結構ドライな評価を下されている可能性もある。

noteやブログに無理やり例えてみると、20年前に書いてウケた記事を、内容そのままに大手メディアに再掲されるようなものだろうか。これは嫌だな。当時はウケていたとしても、今でも受け入れてもらえるのか、という怖さもある。今でもウケるように少しでも良いから書き直したいと思うだろう。
もちろん曲とブログ記事は全くの別物だけど、作り手と受け取り手の感性は年々変わっていくものだし、その中で自分の昔の創作物をそのまま発表することは、結構勇気がいるのではないだろうか。

もしもあなたが長年活動を続けているアーティストのファンで、彼らが昔の名曲を変わらず披露してくれているなら、それは幸せなことだと思う。
だが中には、ファンからは熱望されているのに全く披露してくれない昔の曲もあると思う。そこには作り手であるアーティストしか分からない、受け入れ難さや葛藤があるのかもしれない。昔の名曲を愛でるのも良いが、新曲を聴いて「今」を追ってあげる方がアーティストにとっては幸せなのかも。




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